2018年12月31日

『日々の聖句』 目次

日々の聖句を再開いたしました。

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2018年04月30日

『日々の聖句』2018年4月

相模原教会の『日々の聖句』
み言葉のパンで生きる365日


短い解説と、牧師の黙想も加えました。ご自身で御言葉を聴かれる一助としてください。

2018年4月

●1(第1主日・復活祭イースター)



●2(月)
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。 (ヨハ3・16)

自分の行いで救いを得る方法(律法遵守)を熟知していたニコデモが、イエス様のところに来て話を聞く。それは今までに聞いたこともない話、「なによりも神様ご自身が救いたいと願っておられるのだ」という驚くような知らせ。
それも、父なる神がその代償に、独り子の命を与えて下さったのだと。
ああ、私にもこの恵みが届いている。そして気付く、私は神にどれほど愛されていたのか、と。


●3(火)
御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。  (エフェ1・17-18)

パウロは、エフェソにいる一人ひとりを想って祈るたびに、「このことを祈っているんだ」と言う。それは、「御霊が、あなたがたの心の目を開いてくださるように」と。
それは、自分を見る目じゃない。自分の腹を見る目じゃない。一八〇度振り返って、神を見上げる目。そこにこそ平安も幸いがあるから。主よ、私の心も目も開いて下さい。


●4(水)
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。 (マコ1・35)

多くの人を癒される忙しい日々の中で、朝一番にイエス様がなさったことは独りで「祈る」ことだった。どんなに大切だと確信している御業でも、まず父なる神の御心を聞くために、静かに神と対話されたのだ。
私も朝毎に、一日の息遣いさえ始める前に、まず神様との対話から始めよう。そこで全てが整えられると信じて、祈ることから始めよう。


●5(木)
あなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。   (2コリ6・1)

「神からいただいた恵み」ってたくさんある。祈って快復させていただいた健康。能力や、出会いも全て恵み。何よりも、神と子とされたことが一番!
 でも、それを「無駄にする」とは、何かな? きっと「ああ感謝」で、そこで終わってしまうこと。自分の手元だけで握って、そこで止めてしまうこと。受けた恵みを、自分のためだけのものにして囲い込むこと。ああ今日は、受けた恵みを、人のために用いたい。


●6(金)
(イエスは)御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。 (ヘブ2・18)

イエス様が受けられた試練は、周り中から嘲られ、自分の弟子にさえ裏切られ、家族にさえ見捨てられ、唾棄されたこと。罪がないのに犯罪人として十字架に掛けられたこと。私たちが受ける全ての苦しみ、辛さ、憤懣を、この方はお一人で全てなめられたのだ。
だから、私のどん底にも、その苦しみを知る主が共におられるって、信じます。


●7(土)
愛は自慢せず、高ぶらない。 (1コリ13・4)

「愛の賛歌」と呼ばれている、結婚式の時によく読まれる長い御言葉の一節だ。いや夫婦だけでなく、隣人と生きる以外にない私どもが、どう生きるなら「愛の人」になれるのかを細かく教える箇所だ。
そのいずれもが(自慢しないことも、高ぶらないことも)、人の上に自分を置かないこと。心も魂も体も「私はあなたの下に立ちたい」ということ。徹底的に頭を下げて、ひざまずくこと。
あ、それはイエス様の御姿だったと気付かされた。御跡に従って一歩ずつ歩こう。


●8(日・第2主日)



●9(月)
イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。     (ルカ8・25)

湖に漕ぎ出す弟子たちを、嵐が襲った。その波と風を見て震えあがる彼ら。「もう死んでしまう!」と。その船にはイエス様が一緒に乗っておられるのに…。
その時、主が嘆かれたのだ「どうして私を信じないのか、信仰はどこにあるのか」と。主を見ず、自分だけを見ているところに恐れが忍び寄るのに。
「主は共におられる」と言いながら、周りの波風ばかりを見て恐れる私。ああ、我も信仰無き一人なり。


●10(火)
しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。     (1コリ6・11)

生活の中で、神様が「そっちに行くな」と言われた道を行ってしまうことがある。それは、人を悪くいうこと、奪うこと、不義を行うことなど…、正直に数えたらキリがない。
今朝御言葉は、そんな私を捕まえて「あなたは洗礼を受けた者じゃないか、神の子とされてしまっているんじゃないか。だからそこに戻っておいで、ふさわしく歩けるはずだから」と呼び戻してくれる。


●11 (水)
人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。         (マタ7・12)

これはイエス様が「求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい、そうすれば見つかる」と言われた教えの結論部分だ。
つまり、自分がして欲しいと求めることがハッキリする時は、人にしてあげることがハッキリする時なんだ。愛して欲しいと思う時、謝罪して欲しいと思う時、それは自分がすべき時。私たちが探して見つけるべきことは、「人に何をしてあげるのか」だった。ずっと「あなたが私にして欲しいこと」ばかり主張して来たかも知れない。


●12(木)
(イエス)「立って、真ん中に出なさい」と言われた。  (ルカ6・8)

ある男が、ずっと長い間、手が萎えたままでいた。それは、自分で食事もできず、仕事も持てず、だから生きるための収入さえ無いということ。その悲しみを抱えた男にイエス様が呼びかける「神の業をするから、その“真ん中”に立ちなさい」と。
その日は安息日だったから、禁止されている癒しの行為なのに、「神の御業の真ん中に立て。あなたを悲しみから解放したいから」と呼びかけられた。
主は、私どもを救うためなら、恐れも躊躇もない。何でもなさって下さるのだ。


●13 (金)
渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。 (黙21・6)

神様が「渇いている者がいないか、きっといるだろ。私が水を飲ませてあげるから、傍においで」と招かれる。
その呼び掛けに触れて、初めてのように気付くことがある、「あ、私は渇いていたのかも。だから生活が不満に満ちて、愚痴が出て、いつもイライラしていて、何かに焦っていた。そうだ、水が必要なのは、私自身だったのかも」と。
今日、御前にひざまずこう。私を生かす「命の水」をいただくために。


●14(土)
もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。 (ガラ1・10)

使徒パウロは、自分の立ち位置をハッキリ宣言して「人の気に入ろうとする場所に立たない」と言った。実はそこが、人を罪へと引き込む場所だから。
そこに立つから、神様から離れる戸口が開くのだ。他人の目を見て、自分がどう見られているのかにあくせくして、ついには神を見ることから離れる場所なのに。
それにしても、人に気に入ろうとしてあくせくしているのは、まさに私なり。


●15 (日・第3主日)



●16(月)
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。     (ガラ3・26)

パウロが伝えた『信仰義認』の核心を、ローマ書と共に明快に語る御言葉の一つだ。誰でも、いや罪人さえ(それは私でさえ)、「イエスさま〜」と信じて手を差し出すだけで、救い主がその手をしっかりと握って下さり、神の子どもたちの中に招き入れて下さるのだ。
そのために御父の求めた条件は、御子が代わりに、全部満たして下さった。ゆえに私に求められる条件は、「主よ、私の神よ」と手を伸ばすだけでいい。


●17 (火)
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。 (1テサ5・16‐18)

パウロが、テサロニケ教会の一人ひとりを思い浮かべて手紙の結語に「皆、平和に過ごすんだよ。励まし合って、助け合うんだよ」と語りつつ、その生活の奥義がコレだとの思いで書き留めた言葉だ。
私どもの多くの兄姉が、「この御言葉が愛唱聖句です」と言われる。
それはひょっとしたら、憧れを感じる御言葉なのだけれど、自分の生活では未達成だからかも。しかし尚つかみ取りたいから、いつも心の中で響いているのかも。


●18(水)
あなたが信じたとおりになるように。      (マタ8・13)

ユダヤの民が、神など信じない輩だと烙印を押していた異邦人が、イエス様に「私の僕が家で苦しんでます。今この場でひと言『治れ』と言って下されば癒されます」と願い出た。その百人隊長に信仰の確かさを見られたイエス様が「あなたの信仰の通りに実現する」と言われたのだ。
願いの実現は、主が御心を起こす力を信じることと直結している。信じ切る信仰が、私にあるだろうか?信じてはいる、でも信じ切って、故に主に従う生活をしているか?ご利益信仰になっていないか!


●19 (木)
弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。 (マタ26・56)

イエス様を捕えようと大祭司の手下達が群がる。そのとき弟子たちは恐くなって、関わっていたら自分に害が及ぶと、保身でイエス様から一歩離れた。その足はもう止まらない。そのまま二歩、三歩、ついに逃げ出した。見捨てることになるのに。
私も世の中で「クリスチャンですと言ったら面倒になるかも」と思う時、御傍を離れているのかも。そこでイエス様を見捨てていることになるのに。逃げ去る背中を、主はどんな思いで見詰められるのか。


●20(金)
あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。     (マタ10・30‐31)

「人を恐れるな」と、イエス様が話し出された結語部分が、この個所だ。
しかし人はどうしていつも他人の目を気にし、気に入られようとあくせくして、結局人を恐れるのか。きっと、「自分を守るのは自分だけ」と焦っているからかも。
そこに主は宣言される「あなたは私が守っている。髪の毛一本までもだ。だからその私を見て、心配しないで歩め」と。
あっ、安心の在り所を見つけた!


●21 (土)
一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。    (2コリ4・17)

艱難は、労も老も病も死も含めた「外側の姿が衰えていく」こと。でも御言葉は「内なる人は日々新たにされていきます」と告げる。人は、そこで練られて豊かになり、そしてとうとう神様からの永遠の生命に輝く私とされるのだ。
地上の歩みは練られて、ついに天の栄光と一つとなる。今日の一歩が、たとえ辛くとも、目的地が分かっていたら、一歩進めると思えた。


●22(日・第4主日)



●23 (月)
自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。    (ロマ12・19)

悪に負けるな!との戒めの中心に在るこがこの御言葉。悪というのは、自分で復讐しようとする時に起こる心(怒り、憎しみ、恨み、軽蔑心、罵り…)と行為(罵倒、意地悪、中傷、暴力、剣…)の全てだからだ。それらは、必ずどれもが「私の過ちと罪」となる。そこで神の怒りが、私自身にも向いてくるのかも知れないのに。
そう思ったら、ハッと気づいた。私のすべきことは、復讐ではなく「それでもなお善を生きること」と分かったから。私は人を見ず、神だけを見て歩めばいいのだ。

●24(火)
よろしい。清くなれ。   (マコ1・41)

重い皮膚病の人が、イエス様の前にひざまずいた。癒して欲しくって…。当時この病になると、汚れた罪人として家からも村からも追放された。だから、癒されたいとの思いは激烈だったはず。
それなら私だったら「主よ、助けて! 癒して!」と叫んだはずなのに。この男は「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言っていた。主は、その信仰に「よろしい」と言われたのだ。
委ねる人に、主は「よろしい」と言って下さる。私の祈りも今日から変えよう。


●25 (水)
あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。   (ルカ10・41‐42)

一生懸命イエス様を接待するマルタ。でもそんな彼女に主が「その姿が、心乱れているのだ。私がして欲しいことは、私の言葉を聴くことなのに。どうして私の傍にいてくれないのか。どうして台所に立つのか。恵みの場にいないのか」と嘆かれる。
私たちはなぜか「マルタも必要なんだ」と、マルタに肩入れしたくなる。でも、そこが間違い信仰生活への入り口なのに。主の促しを聞き流す自己流の行いなのに。


●26(木)
本当に、この人は神の子だった。      (マコ15・39)

十字架の上でイエス様が息を引き取られたのを目撃した百人隊長が呟いたのが、この信仰告白。勝利の姿を見たのではない。無残な敗北のようにしか見えない十字架の死なのに…。しかも信仰教育などされていなかった異邦の民が、イエス様の隠された真の姿を見抜けただなんて。
「信仰なら知っている、教理なら分かっている」と思って信仰者面をしている私こそ、何も見えていないのかも。何も見ていないのかも。「私にも、信仰を日々新しく与えて下さい」と祈るばかりだ。


●27 (金)
これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。  (マタ18・14)

「小さい者」とは、自分勝手な事をして迷子になった一匹の羊。「滅びることは御心ではない」とは、他の九九匹を放置してまで、身勝手な一匹を救いに行くこと。
私は、自己中心な一匹の羊だろうか。それともそんな一匹のために我々を危険にさらすのかと憤慨する九九匹のほうだろうか。いずれにしても、どちらも神の御心の中に捉えられている。どちらも神の宝。神が守って下さる羊なんだ。


●28(土)
人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。    (ロマ9・20)

直前の「神は憐れみたいと思う者を憐れむ」との言葉を聞いた時に、人に起こるあらゆる呟き(「そんなこと言われたら、私は憐れみを受けられるの? あの悪人はどうなの!」)に、一喝が入る。「神がなさることに口答えするのか」と。
神の御心の上に人間が君臨しようとする思いに気付かされて、そして知る。神が憐れもうとする人は、私を含めて全ての隣人に及ぶ広さ、高さ、深さを。
口答えの心さえ恥ずかしい。私の口に「然り、感謝」の言葉だけを与えたまえ。


●29 (日・第5主日)



●30(月・祝日)
悪い言葉を一切口にしてはなりません。     (エフェ4・29)

「悪い言葉」というのは、単に悪口とか嘲りとかだけではない。聞く人に恵みにならない言葉、相手を上から押さえ付ける言、必要でない時なのに言い放ってしまう言葉。自分が言いたいだけ言う言葉。
これでは、何も言えなくなる気がする。
否、聖書は続けて「語れ」と告げる。それは、自分の思いや考えや正義感から語るのではない。それらをむしろ全部捨てて、100%聞き手のために心を尽くした言葉だ。私にはその心が欠けていたのかも知れない。

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2018年04月15日

『日々の聖句』2018年5月

相模原教会の『日々の聖句』
み言葉のパンで生きる365日

2018年5月

短い解説と、牧師の黙想も加えました。ご自身で御言葉を聴かれる一助としてください。
(新約編)
その日一日のためにくじで選ばれた聖句が記されています。『ローズンゲンの日々の聖句』のように、人間の思いを超える神意として、私たちに与えられた御言葉と聞きつつ、祈りへと導かれたいと願います。(牧師・辻川篤)


●1(火)
日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。  (エフェ4・26)

パッと心に火が付いて怒ってしまう。聖書は、それはあるだろうよ、と言ってくれる。しかしだ。その直後に、怒ったままで一日を終えるな!怒りを次の日まで持ち越すな!と命じる。ハッキリと、怒ったままでいるのは「罪だ」と告げる。
主よ、どうか怒りを捨てる決心を、私にも日々与えて下さい。私が怒ることを捨てたら、主が喜ばれるという信仰を与えて下さい。私が怒りを捨てても、主が最善をして下さるという信仰に生きる者とならせて下さい。


●2(水)
神は見劣りする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。    (1コリ12・24)

この「体」とは「キリストの体なる教会」のこと。その教会を、人の“輝く賜物”を用いて組み立てるのでないと言われる。見劣りしたり、役に立ちそうになかったり、取柄もない人を用いるのだと言われる。
なぜ?と考えて、気付いた。弱さって、天の父の御手が介入できる場となるから。誰の目にも、御業が働いて教会が建つのだと分かるから。そうか!「私には、その奉仕は苦手、無理です」と言っている人が、神様に目を付けられているんだな。


●3(木・祝日)
あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強い。 (1ヨハ4・4)

「イエスは天より降って受肉してくださった救い主キリスト」と告白出来たら、その人の内には神の霊が共にいるのだ。その信仰告白が、すでに助け手なる聖霊の御業だから。聖霊が「内におられる方」だ。
聖霊が、私の内におられ、私の内側から支え、心の内側にある言葉にならない呻きまで知っていて下さる。私の必要を、誰よりもハッキリと知っていて下さる。神の力を受けているんだ。何度でも自分に言おう、神の霊が我が内に在り、と。


●4(金・祝日)
御子の内にとどまりなさい。    (1ヨハ2・27)

イエス様は真に御子であられ、私の救い主キリストであられる―。この一事にとどまることを、この御言葉は迫ってくる。
それは、偽物の誘いが私たちを惑わせるから。その誘惑は、御子から離れさせて、自分主義にしがみつかせる誘い。つまり自分が神になる誘い。また聞いた御言葉を棚上げにさせる誘い。御子にこそ救いがあるのに、それを疑い出させる誘惑。
主は私を抱きしめていて下さる。でも私も主を求め、従う者であり続ける事も欠かせない。それは留まる決断の連続だ。


●5(土・祝日)
信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。  (1コリ13・13)

今年の年間聖句は「愛がなければ、無に等しい」。その文脈に繋がって出て来るのが、この御言葉だ。
信仰者の私にとって最も大いなるものは「信仰」なのかと思っていたけど、あれ、違うみたい。そうか、終わりの日、御国が来たら目の前に神を見るから、信じて待っていることも終わりが来る。希望も、もう実現するのだ。でも御父を愛することは、いつまでも残る。いよいよ輝くのだ。


●6(日・第1主日)

主日礼拝説教
     辻川篤牧師



●7(月)
たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。 (2コリ4・16)

私たちには、老いと病と艱難と誹謗中傷と…四方から苦しみが押し寄せる。そこで身も心も傷つき倒れそうになるだろう。確かに、私たちは衰える存在なんだ。しかし、それは『外なる人』のこと。
そうだ! 主と結ばれた私である『内なる人』は、苦難の日々に必ず主の恵みを見る。そこでこそ益々確信するだろう。「私は既に永遠の生命に結ばれている」という喜びを。ますます、ハレルヤだ。


●8(火)
神は、約束によってアブラハムにその恵みをお与えになったのです。        (ガラ3・18)

 
神からの恵みは、いかにして手に出来るのか? これは重要関心事だ。その恵みは大きくて、神の子とされる安心も、死で終わらない新しい命もあるのだから。
 人は、大きな褒美を得るためには大きな努力をする。しかし神は言われる。神の恵みを受け取る方法は、「あなたにあげたい」と神が約束して下さったという事実を、ただ信じて、「感謝」と言えば良いと。
 私も、「約束を信じたら、もうそれでいただける」っていうの、良いなと思う。


●9(水)
神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。    (テト3・5)

神様は私たちをじっと見て、「お前は正しく生きているか?熱心に奉仕し、献げ、隣人に尽くしているか?道を外れていないか?一つの悪事も行ったり、口にしたり、思ったりさえもしていないか?」と、採点されたりはしない。
神様は私たちをじっと見て、「ああ私の大事な子よ!愛しているよ!」と抱きしめて下さる。何もできず、かえってしたくないことをする私なのに…。感謝のみ。


●10(木)
いっさいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。    (1コリ4・7)

力もお金も能力も、今の境遇や健康さえ…、生命そのものだって、全てが神様からのいただき物。それは頭では理解しているつもり。でも、最初に忘れてしまうのが、このことなんだ。自分で勝ち取ったと思うから自分を誇り、持っていることにこだわり過ぎてしまうのだ。だから御言葉は続けて「なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのか」と告げる。
ガツンと言われた気がする。ガツンと言われる必要が、私にはあったから。


●11 (金)
ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。(ロマ11・33)

ユダヤ人は、異邦人へと救いが広がることに頑な民だった。でも異邦人が救いに与れた時に、逆にユダヤの民も立ち帰る機会となった。不思議にも、そうやって全てのことが用いられて、全ての人が救われて神の子とされる日がやって来るのだ。それが、神の知恵・恵みの知恵だったのだ。
家族や友人の中に、こんな不信仰なキリスト者でしかない私が居るのは、その私さえ用いて下さる神の知恵なのだ。
「こんなふつつか信仰者の私ですが、どうぞ用いたまえ」と今日も一日歩もう。


●12(土)
兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。   (1ヨハ2・10)

「救われて神の子とされ、御父の光の中に入れられた」と信仰生活を歩いているはずなのに、私の現実が、暗く重く闇の中のようだとしたら。隣人関係で深く苦しんでいるとしたら…。
み言葉は「それは、あなたに愛が欠いているからだ」と告げる。そして、関係に苦しむ日々から、一気に喜びの光の中に立ち帰れる方法があると告げる。
それは、「私が」「私から」「私だけであっても」、愛する側に立つことだ、と。


●13(日・第2主日)

主日礼拝説教
      西田恵一郎牧師
        (和泉短期大学チャプレン)



●14(月)
奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。  (1ペト4・11)

誰にでも、御父からそれぞれに賜物を預けられている。それは用いるため。小さな業でも御父は喜ばれるし、喜びたいからと、賜物は預けられているのだ。
もしも用いることが出来るのに、貯め込んでしまっていたら。一番悲しまれるのは御父なる神ご自身かも知れない。御父の“悲しみの子”にはなりたくないな。


●15 (火)
何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。      (1コリ10・31)

「何をするにしても」とは、「食べるにしても、飲むにしても」と記されていた。それは四六時中「神が褒め称えられるようにするには、どんな食べ方?どう飲めばいいの?どう話したらいいの?どういう風に生きたらいいの?」と考えること、悩むこと。神の喜ぶ道を本気で探して、自分の事ばかり考えるのを捨てること。
あぁ難しい。四六時中、自分中心の心だから。あっ、言葉こそ口から出す前に神の喜ぶものに整えねば。最難問かも。


●16(水)
少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい。    (マコ5・41)

皆が絶望していた。それは、「娘はもう死んでしまったのだから、どうしようもない」と思ったから。「イエス様でも、こればっかりはどうしようもないだろう」と思ったから。
しかしイエス様は、その人間の思う「どしようもない」という絶望を打ち破られるのだ。それも、お言葉ひとつで! 「起きなさい」を命じられる言葉で。
主の言葉は、いのちの言葉なのだ。それも生きて働いて、出来事化する神の言葉なのだ。日ごとに戴いて過ごせる幸せ。


●17 (木)
信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。        (エフェ6・16)

悪の策略が押し寄せる。聖書はそれを絵空事とはしない。しかしその上で、だ。跳ね返せる「神の武具」を数え上げてくれて、実装するようにと促してくれるのだ。「盾」となるのが「信仰」だよ、と。
主よ、信仰は我が身を守る必需品なのですね。「私は主のもの。神に愛されている」と信じることが、悪から自分自身を守る武具なのですね。悪の策略は、私は無価値だと思い込ませることだから。


●18(金)
主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。      (ルカ1・45)

これは、聖霊によってイエス様を宿した母マリアに、洗礼者ヨハネの母エリザベトが告げた言葉。人知を超えた受胎を、しかしそのままに「この身になりますように」と受け入れたマリアの信仰を、エリザベトが「なんと幸いでしょう」と言ったのだ。
私も、聖書の御言葉を聞くたびに、「無理だ」とか「これはあの人に丁度いい」とか「いずれまた」と自分から遠ざけずに、いつもそのまま受け入れて従いたい。そこに神からの幸いが実現するのだから。


●19(土)
御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。(ヤコ1・21)

今日の聖句の前後に繰り返されている言葉がある。それらは同じ内容で、「心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい」「御言葉を行う人になりなさい」「聞くだけで終わる者になってはいけません」…。ああ、なんと私は聞くだけの者で、受け入れない者だったことか。知るだけで、行わない者だったことか。行うことの実りは大きいのに、なんと軽視してきた事か。
今日の一歩一歩を、御言葉の上に置いて歩んで行こう。そうだ、御言葉を実際に生きるのだ。


●20(日・第3主日)ペンテコステ(聖霊降臨祭)

主日礼拝説教
      辻川篤牧師



●21 (月)
今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのです。         (ロマ5・9)

キリストが死なれた――、このことを延々と語り続けるロマ書。「その死は不信心な者・罪人であるあなたのためだったのだよ」と語り続けるロマ書。
今日の御言葉は、「わたしたちは」という箇所に「〇〇は」と、具体的に名前を書き入れよ、と招くのだ。自分だけでなく、親も子供も孫も、友人も、愛するすべての人の名前を入れてみよ、と。そうしたら、キリストの死がぐっと近づいて来る。救いの恵みが、ぐっと近づいて来るから。


●22(火)
しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。     (1コリ6・11)

洗われる前の真っ黒な姿を、御言葉は赤裸々に告げる「…強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は…」と。あなたがそれだと。そこに続けて、この御言葉が告げられるのだ。キリストの名と聖霊によって、あなたを雪のように白くした。既に洗い切った。もう一点の汚れもの無いと。受洗の日にだよと。
相応しく歩もう。洗ってくださったのは、十字架の血潮によるのだから。


●23(水)
神は人を分け隔てなさらない。       (使10・34)

使徒ペトロがヤッファで神様から幻で「自分が、これは汚れたものだと常識にしていたことさえ、神が『清めた』と言われたら清くなる」と諭された。これが、異邦人を隔てず救い招く転換点となった。
人って、「今までこうしていた。これが普通・常識でしょ」と言って、自分の経験にしがみつく。それが隣人を分け隔てする壁となっていても、だ。
神様は、その壁が一番お嫌いなんだ。全てに恵みを届けたいから。そうだ、その神様の恵みのお心にこそしがみつこう。


●24(木)
あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。     (エフェ1・13)

み言葉を「聞いて」「信じて」最後に「証印」も押してもらった。振り返れば、正規の手順をすべて通って来たんだな。その手順を踏んで来たということは、正真正銘の鑑定書付ということ。神様から見たら、私にもハッキリくっきり「これは神の宝。神の子」とハンコが押されているんだ。
ならば、人から見られても「これは主のもの」と分かる歩みをしなくっちゃ。

●25 (金)
わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。    (ルカ6・46)

「主よ、主よ」と言うだけでは、信仰の堅固な土台とはならない。「神様、イエス様」と呼ぶだけでは、単なるご利益宗教と同じなんだ。イエス様はハッキリと言われる「私の言葉を行うこと、私に従うことが、あなたの信仰の土台をつくるのだ」と。「聞いても右から左で、行いにつながらない者は、信仰さえ倒壊するぞ」と。
厳しいなと思えるのは、私が日ごろ聞くだけで済ませている生活だからかも。信仰生活の本番は、ウイークデーにあり!


●26(土)
あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることをしらないのですか。      (1コリ3・16)

キリスト者は、「建物」にたとえられる。その土台はキリストご自身。私たちは、その堅固な土台の上に建てられた聖なる神殿なのだ。だからキリストと一つとなり、キリストの言葉に聞いて、キリストに従う“存在”としてこの世にたっている。もうキリストまみれじゃないか。それも聖霊が、我が内に住まう建物とされているのだ。
私の存在は、もう「主のもの」。そのままの在りようを生きていたい。


●27 (日・第4主日)

主日礼拝説教
      辻川篤牧師



●28(月)
今から後、あなたは人間をとる漁師になる。   (ルカ5・10)

これは、ガリラヤ湖の漁師だったペトロがイエス様の弟子として歩みだす瞬間だ。その瞬間は、イエス様の一言で始まった「人を神のものとするために捕らえる“漁師に”なるのだ」と。それも、「漁師になるか?」とか「やってくれるか?」の問いかけじゃない。「漁師になる、あなたはもう弟子になると決まっているから」という激しい招きだ。
「人間をとる」という御言葉のところに、そっと自分の愛する人の名前を入れたら、私も心が熱くなった。


●29 (火)
ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。  (ロマ3・24)

救いへ向かう一本道には、道筋がハッキリ分かるように“道標”がある。ここがその道だと分かるように“標識”が立っている。それがこの御言葉だ「ただキリストによる」「贖いの業を通して」「神の恵みによる」「無償で」「義とされる(ゴール)」だ。
どれもが道を見失わないための“道標”なんだ。そうだ!生活の中で迷子になりそうになったら、いつでもこの御言葉を思い出そう。立ち位置を修正するために。


●30(水)
イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。」  (マコ10・21)

神の掟を完璧に守っていると自負する青年が、イエス様に「これ以上何が必要でしょうか」と問うた。それにイエス様が答えられたのがこの御言葉だ。それは「あなたに欠けているものがあるよ。それは隣人に尽くすことだよ。財産も能力も賜物も全てを投げ出して尽くし切って御覧」と。
それも、慈しみの目の中に青年をとらえて言われた。「本当はそこに立って欲しい」と導かれる眼差しで。「きっとあなたならできる日が来るから」との眼差しで。


●31(木)
起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。     (ルカ5・24)

中風を患っていた男を、友人達がイエス様のもとに担ぎ込んであげた。そこで主は、罪を赦して病も癒された場面だ。
起き上がることなんてもう一生できないと思いこんでいた病だけど、主はその苦しみを砕く一撃として「病の淵から起き上がれ、絶望から起き上がれ」と告げられたのだ。「ここしか自分の居場所は無いんだと、がんじがらめに縛られていた床を、お前が担ぎ上げろ、さあ自由に歩き出せ」と。私にも、今日必要な一言として、心に染み込んだ。

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2018年03月31日

『日々の聖句』2018年3月

相模原教会の『日々の聖句』
み言葉のパンで生きる365日

2018年3月
右向き三角1右側には、その日一日のためにくじで選ばれた聖句が記されています。私たちに与えられた御言葉と聞きつつ、祈りへと導かれたいと願います。  
右向き三角1( )内は詩編です。ご一緒に味わっていきましょう。




●1. 木 pm7:00キリスト入門講座

酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。  (ロマ13・13-14)

(詩編味読22・20「わたしの力の神よ、今すぐにわたしを助けてください。」)


●2. 金 pm2:00信仰の書を読む会

イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。    (マコ6・50)

(詩編味読22・23「わたしの兄弟たちに御名を語り伝え、集会の中であなたを賛美します。」)


●3. 土 

わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。    (マタ16・24)

(詩編味読22・25「主は貧しい人の苦しみを、決して侮らず、さげすまれません。」)


●4. 日(第1主日)説教・辻川篤牧師
聖餐式
ヘルモン会、ぶどうの会、青年会 各定例会


●5. 月

それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。  (マタ16・15)

(詩編味読22・25「御顔を隠すことなく、助けを求める叫びを聞いてくださいます。」)


●6. 火

主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。   (ヤコ4・10)

(詩編味読22・28「地の果てまですべての人が主を認め、御もとに立ち帰り、国々の民が御前にひれ伏しますように。」)


●7. 水 pm7:00聖書の学びと祈祷会

あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい。    (1コリ10・32)

(詩編味読22・30「主にひれ伏し、塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。」)


●8. 木 pm7:00受洗準備会

わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。   (ヨハ4・14)

(詩編味読23・1「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」)


●9. 金 pm2:00信仰の書を読む会

会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。   (マコ5・22)

(詩編味読23・2-3「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。」)


●10. 土

わたしたちはどう祈るべきか知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる。   (ロマ8・26)

(詩編味読23・3「主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。」)


●11. 日(第2主日)説教・辻川篤牧師

pm:1:00午後の礼拝(説教・藤森誠神学生)
           聖餐式

●12. 月

神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。    (1コリ10・13)

(詩編23・4「死の陰の谷を行く時も、私は災いを恐れない」)


●13. 火

主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります。  (ルカ5・12)

(詩編味読23・4「あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。」)


●14. 水 pm7:00聖書の学びと祈祷会

神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。  (ヨハ6・29)

(詩編味読23・5「わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。」)


●15. 木 pm7:00受洗準備会

今は神を知っている、いや、むしろ神から知られている     (ガラ4・9)

(詩編味読23・6「命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。」)

●16. 金 相模白ゆり幼稚園卒園式

罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう。  (ルカ7・49)

(詩編味読24・1-2「地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは、主のもの。主は、大海の上に地の基を置き、潮の流れの上に世界を築かれた。」)


●17. 土

神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。   (1コリ8・3)

(詩編味読24・3「どのような人が、主の山に上り、聖所に立つことができるのか。」)


●18. 日(第3主日)説教・西田恵一郎牧師
12:30定例幹事会



●19. 月

なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。  (ロマ14・10)

(詩編味読25・4「主よ、あなたの道をわたしに示し、あなたに従う道を教えてください。」)


●20. 火

わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。  (2コリ4・7)

(詩編味読25・5「あなたのまことにわたしを導いて下さい。」)


●21. 水(祝日) pm7:00聖書の学びと祈祷会

(アブラハムは)神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していた。        (ロマ4・21)

(詩編味読25・5「あなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。」)


●22. 木 pm7:00受洗準備会

たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。   (マコ14・31)

(詩編味読25・7「わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず、…主よ、わたしを御心に留めてください。」)


●23. 金 pm2:00信仰の書を読む会

わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。  (ヨハ14・6)

(詩編味読25・8「主は…罪人に道を示してくださいます。」)


●24. 土

世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。  (1ヨハ2・17)

(詩編味読25・10「その契約と定めを守る人にとって、主の道はすべて、慈しみとまこと。」)

●25. 日(第4主日・棕櫚の主日)受難週
説教・辻川篤牧師
礼拝後すぐ・祈り会


●26. 月

イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。  (ルカ7・48)

(詩編味読25・11「主よ、あなたの御名のために、罪深いわたしをお赦しください。」)


●27. 火

神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。  (ロマ8・14)

(詩編味読25・14「主を畏れる人に、主は契約の奥義を悟らせてくださる。」)


●28. 水 pm7:00聖書の学びと祈祷会

神の聖霊を悲しませてはなりません。  (エフェ4・30)

(詩編味読27・8「心よ、主はお前に言われる、『わたしの顔を尋ね求めよ』と。主よ、わたしはあなたの御顔を尋ね求めます。」)


●29. 木(洗足の木曜日) pm7:00受洗準備会

旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはらない」と命じられた。 (マコ6・8-9)

(詩編味読27・14「主を待ち望め、雄々しくあれ」)


●30. 金(受難日) pm7:00受難日礼拝

何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。      (フィリ4・6)

(詩編味読28・2「至聖所に向かって手を上げ、あなたに救いを求めて叫びます。」)


●31. 土

なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。  (マタ8・26)

(詩編味読28・7「主はわたしの力、わたしの盾、わたしの心は主に依り頼みます。主の助けを得てわたしの心は喜び躍ります。」)


【お知らせ】 右向き三角1『日々の聖句』の解説文を4月号から再録することに致しました。どうぞご自身の〈御言葉と祈りの生活〉のためにお用い下さい。
日本基督教団 相模原教会牧師・辻川 篤

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2018年02月28日

『日々の聖句』2018年2月

相模原教会の『日々の聖句』
み言葉のパンで生きる365日

2018年2月
右向き三角1右側には、その日一日のためにくじで選ばれた聖句が記されています。『ローズンゲンの日々の聖句』のように、人間の思いを超える神意として、私たちに与えられた御言葉と聞きつつ、祈りへと導かれたいと願います。
右向き三角1( )内は詩編です。ご一緒に150編を辿っていきましょう。


●1. 木 pm7:00キリスト入門講座

わたちたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。 (2コリ5・1)

((詩編味読20・9「彼らは力を失って倒れるが、我らは力に満ちて立ち上がる。」)


●2. 金 pm2:00信仰の書を読む会

あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。   (マタ28・7)

(詩編味読20・7「今、わたしは知った。主は油注がれた方に勝利を授け、聖なる天から彼に答えて、右の御手による救いの力を示されることを。」)


●3. 土 

皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。 (マタ22・21)

(詩編味読20・8「戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが、我らは、我らの神、主の御名を唱える。」)


●4. 日(第1主日)説教・辻川篤牧師
聖餐式
礼拝後・ヘルモン会、ぶどうの会定例会


●5. 月

愛がなければ、無に等しい。 (1コリ13・2)

(詩編味読20・10「主よ、王に勝利を与え、呼び求める我らに答えてください。」)


●6. 火

二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。   (マタ18・20)

(詩編味読21・2「主よ、王はあなたの御力を喜び祝い、御救いのゆえに喜び躍る。」)


●7. 水 pm7:00聖書の学びと祈祷会

子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。 (1ヨハ3・18)

(詩編味読21・3「あなたは王の心の望みをかなえる。」)


●8. 木 pm7:00キリスト入門講座

心を騒がせるな。神を信じなさい。   (ヨハ14・1)

(詩編味読21・3-4「あなたは…唇の願い求めるところを拒まず、彼を迎えて豊かな祝福を与え、黄金の冠をその頭に置かれた。」)


●9. 金 pm2:00信仰の書を読む会

悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。 (マコ10・22)

(詩編味読21・6「御救いによって王の栄光は大いなるものになる。」)


●10. 土

貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。    (コロ3・5)

(詩編味読21・8「王は、主に依り頼む。いと高き神の慈しみに支えられ、決して揺らぐことがない。」)


●11. 日(第2主日)説教・辻川篤牧師




●12. 月(祝日)

この方においては「然り」だけが実現したのです。  (2コリ1・19)

(詩編味読21・9「あなたの御手は敵のすべてに及び、右の御手はあなたを憎む者に及ぶ。」)


●13. 火

だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。     (2コリ11・29)

(詩編味読21・14「御力を表される主をあがめよ。」)


●14. 水(灰の水曜日・受難節 レント)  pm7:00聖書の学びと祈祷会

まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。    (ルカ11・13)

(詩編味読21・14「力ある御業をたたえて、我らは賛美の歌をうたう。」)


●15. 木 pm7:00キリスト入門講座

人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。   (ルカ19・10)

(詩編味読22・2「わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。」)


●16. 金 pm2:00信仰の書を読む会

皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。   (1コリ1・10)

(詩編味読22・2「わたしの神よ…なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉も聞いてくださらないのか。」)


●17. 土

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。  (マタ22・37)

(詩編味読22・4「だかあなたは、聖所にいまし、イスラエルの賛美を受ける方。」)


●18. 日(第3主日・受難節第1主日)
説教・西田恵一郎牧師
礼拝後・拡大幹事会、定例幹事会


●19. 月

闇が去って、既にまことの光が輝いているからです。    (1ヨハ2・8)

(詩編味読22・5「わたしたちの先祖はあなたに依り頼み、依り頼んで、救われて来た。」)


●20. 火

兄弟たち、物の判断については子供となってはいけません。  (1コリ14・20)

(詩編味読22・6「助けを求めてあなたに叫び、救い出され、あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。」)


●21. 水 pm7:00聖書の学びと祈祷会

あなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。  (エフェ2・13)

(詩編味読22・7「わたしは虫けら、とても人とはいえない。」)


●22. 木 pm7:00キリスト入門講座

あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神である。    (フィリ2・13)

(詩編味読22・10「わたしを母の胎から取り出し、その乳房にゆだねてくださったのはあなたです。」)


●23. 金 pm2:00信仰の書を読む会

わたしたちは神に属する者です。      (1ヨハ4・6)

(詩編味読22・11「母がわたしをみごもったときから、わたしはあなたにすがってきました。母の胎にあるときから、あなたはわたしの神。」)


●24. 土

イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。  (1コリ1・2)

(詩編味読22・12「わたしを遠く離れないでください、苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。」)


●25. 日(第4主日)説教・辻川篤牧師
礼拝後すぐ・祈り会
祈り会後・CS教師研修会


●26. 月

(主は祈って言われた)「しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」  (マタ26・39)

(詩編味読22・14「餌食を前にした獅子のようにうなり、牙をむいてわたしに襲いかかる者がいる。」)


●27. 火

宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 (ルカ2・7)

(詩編味読22・15「わたしは水となって注ぎ出され、骨はことごとくはずれ、心は胸の中で蝋のように溶ける。」)


●28. 水 pm7:00聖書の学びと祈祷会

喜んで与える人を神は愛してくださるからです。   (2コリ9・7)

(詩編味読22・20「主よ、あなただけはわたしを遠く離れないでください。」)























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2018年01月31日

『日々の聖句』2018年1月

相模原教会の『日々の聖句』
み言葉のパンで生きる365日

2018年1月
右向き三角1右側には、その日一日のためにくじで選ばれた聖句が記されています。『ローズンゲンの日々の聖句』のように、人間の思いを超える神意として、私たちに与えられた御言葉と聞きつつ、祈りへと導かれたいと願います。
右向き三角1( )内は詩編です。ご一緒に150編を辿っていきましょう。



●1. 月(元日)
11:00 元旦礼拝

光は暗闇の中で輝いている。    (ヨハ1・5)

(詩編味読18・33‐34「神はわたしに力を帯びさせ、わたしの道を完全にし、わたしの足を鹿のように速くし、高い所に立たせてくださる」)


●2. 火 

主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。        (ヨハ13・14)

(詩編味読18・36「あなたは、自ら降る。」)


●3. 水  pm7:00信徒による祈祷会

恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。   (ヘブ4・16)

(詩編味読18・36「右の御手で支えてくださる。」)


●4. 木 (キリスト入門講座は冬休み)

わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。   (2テモ2・13)

(詩編味読18・36「あなたは、…わたしを強い者としてくださる。」)


●5. 金 (信仰の書を読む会は冬休み)

皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。  (マコ12・17)

(詩編味読18・37「わたしの足は大きく踏み出し、くるぶしはよろめくことがない。」)


●6. 土(公現日)

ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。 (使2・22)

(詩編味読18・38「(あなたは)敵を追い、敵に追いつき、滅ぼすまで引き返さない」)


●7. 日(第1主日)説教・辻川篤牧師
   2018年主題聖句説教
   成人の日を覚えての礼拝
聖餐式
礼拝後・ヘルモン会、ぶどうの会 新年会
●8. 月(成人の日)

わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。        (ヨハ8・11)

(詩編味読18・44「あなたはわたしを民の争いから解き放ち、国々の頭としてくださる。」)


●9. 火

今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。    (ルカ6・21)

(詩編味読18・47「主は命の神。わたしの岩をたたえよ。」)


●10. 水 pm7:00聖書の学びと祈祷会

神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。   (2コリ2・14)

(詩編味読18・47「わたしの救いの神をあがめよ。」)


●11. 木 pm7:00キリスト入門講座

(イエスは)「何をしてほしいのか」と言われた。    (マタ20・32)

(詩編味読18・49「敵からわたしを救い、刃向かう者よりも高く上げ、不法の者から助け出してください。」)


●12. 金 pm2:00信仰の書を読む会

どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。   (エフェ6・18)

(詩編味読18・50「あなたに感謝をささげ、御名をほめ歌う」)


●13. 土

実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。   (ロマ5・6)

(詩編味読18・51「主は勝利を与えられる。」)


●14. 日(第2主日)説教・辻川篤牧師
12:30定例幹事会



●15. 月

すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベタイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。   (マコ1・20)

(詩編味読18・51「油注がれた人を、…とこしえまで慈しみのうちにおかれる。」)


●16. 火

生涯、主の御前に清く正しく。         (ルカ1・75)

(詩編味読19・2-3「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。」)


●17. 水 pm7:00聖書の学びと祈祷会(藤森誠神学生)

一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。     (マコ15・32)

(詩編味読19・13「知らずに犯した過ち、隠れた罪から、どううかわたしを清めてください。」)


●18. 木 pm7:00キリスト入門講座

霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。      (ヘブ12・10)

(詩編味読19・8「主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。」)


●19. 金 pm2:00信仰の書を読む会

万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。   (1コリ8・6)

(詩編味読19・10「主への畏れは清く、いつまでも続き、主の裁きはまことで、ことどとく正しい。」)


●20. 土

わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。      (ヨハ15・10)

(詩編味読19・8「主の律法は完全で、魂を生き返らせ、主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。」)


●21. 日(第3主日)説教・西田恵一郎牧師
pm1:00第13回「賛美の集い」



●22. 月

二人はすぐに網を捨てて従った。      (マタ4・20)

(詩編味読19・9「主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、主の戒めは清らかで、目に光を与える。」)


●23. 火 10:00ママ・パパの会

知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。    (コロ2・3)

(詩編味読19・15「どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない、心の思いが御前に置かれますように。」)


●24. 水 pm7:00聖書の学びと祈祷会

五体を義のための道具として神に献げなさい。   (ロマ6・13)

(詩編味読19・14「あなたの僕を驕りから引き離し、支配されないようにしてください。」)


●25. 木 pm7:00キリスト入門講座

何を聞いているかに注意しなさい。     (マコ4・24)

(詩編味読19・12「あなたの僕はそれらのことを熟慮し、それらを守って大きな報いを受けます。」)


●26. 金 pm2:00信仰の書を読む会

キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。     (エフェ5・21)

(詩編味読19・15「どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない、心の思いが御前に置かれますように。」)


●27. 土

愛に偽りがあってはなりません。       (ロマ12・9)

(詩編味読20・2-3「苦難の日に主があなたに答え、ヤコブの神の御名があなたを高く上げ、聖所から助けを遣わし、シオンからあなたを支えてくださるように。」)


●28. 日(第4主日) 説教・辻川篤牧師
礼拝後すぐ・定期教会総会(2018年幹事選挙)



●29. 月

あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。       (コロ3・1)

(詩編味読20・8「戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが、我らは、我らの神、主の御名を唱える。」)


●30. 火

わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。     (ルカ3・16)

(詩編味読20・6「我らがあなたの勝利に喜びの声をあげ、我らの神の御名によって旗を掲げることができるように。」)


●31. 水 pm7:00聖書の学びと祈祷会

わたしたちは神に希望をかけています。 (2コリ1・10)

(詩編味読20・6「主が、あなたの求めるところを、すべて実現させてくださるように。」)


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