2012年06月05日

説教 「唯一の霊によって」

2012年6月3日の説教
コリントの信徒への手紙一 12章4〜11節
相模原教会牧師 辻川篤

 コリントの教会で、異言を語る人たちが「自分の奉仕だけが特別」と言い出したようなのです。パウロはその彼らの主張に、危険を感じたのです。

 もともと賜物と奉仕は、たくさんあるのです。八説以下は、それらが数え上げられていきます「ある人には、霊によって知恵の言葉」「信仰」「病気を癒す力」「異言を語る力」など。そしてこの賜物の一覧表には、「異言だけ特別だ」なんてことは全くないことが分かるように、すべてが並列に並べられているのです。神様は、「あなたには、これ」なんです。それは、一人ひとりに与えられる神様からの届け物です。

 そうやって「聖霊」によって賜物を与えられるのです。パウロはそれを、「霊によって」と言い、またそのことを不思議なほど繰り返します。八節以下で五回も繰り返します。聖霊によって与えられるんだ、神様によってだと、彼は繰り返すのです。アレっと、思いました。私は、たくさんの賜物が挙げられているので、そちらに気を取られていたのですが、でも異様なほどに目立つのは、本当はこの「霊によって」ということで、与えるのは神様お一人によってだということ、賜物の出所はお一人だということなのです。その強調です。

 ハッとしました、こんなに神様が「私が、与える。私が…」と繰り返されるのは、「全てに私の思いと意図があるんだ」と言われているのだということではないですか。神がなさりたいことがあって、神の意図が出発点なのです。神様がお考えになっている、私にして欲しいことがある、ということです。もしこれが、カルチャーセンターの様々なコースであるなら、選ぶのは私が主役でいいでしょう。自分が選んだコースが技術的に高いものなら、「他とは違う」と言っていいでしょう。でも教会では、神の国ではちょっと違うんです。主である神が、私どもを通して、神の願いが果たされて行くのです。私ども一人ひとりは、神様の願われることを神ご自身がなさる、通り道なのです。

 本当は、自分には何もする力なんて無くて、でも神様がご自分の御用のために、私どもを求めていて下さる。だから、私どものすべきことの最初は、繰り返し「主よ、あなたは私に何をさせたいのですか」と、祈る生活以外ないのだと思います。その祈りの中で、私どものこの口、この手、この体を通って、神が行き巡られるでしょう。そこへと私ども召しだす唯一の霊によって、私どもは生かされて生きるのです。
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