2011年08月02日

1.教会の沿革

 戦後、相模原駐留米軍補給廠内に、日本人聖書研究会が生まれます。程なくして、市内に出て伝道しようとの志を与えられ、教会設立の届け出をしようといたしました。その時に、すでに「日本基督教団 相模原教会」は教団に届け出されていたことが判明したのです。
 当時、会員はそれぞれの故郷に帰っておられ、礼拝も中止されていました。そこで米軍内から始まった群れが、その名を継承したのです。創立は、「相模原教会」が教団に届け出された1948年7月12日です。


 相模原教会は、正統的なプロテスタントのキリスト教会です。日本基督教団に属し、「日本基督教団信仰告白」に言い表された信仰を持っています。イエス・キリストを神の子と信じ、イエス・キリストの十字架と復活による救いを信じています。
「相模原米軍補給廠での日本人聖書研究会」 「相模原米軍補給廠のチャペル前で
 フランシス・M・ジョンズ宣教師と共に」

「2011年 創立記念日礼拝説教」より抜粋
 今年の7月12日で、相模原教会は創立63周年を迎えます。おめでとうございます。恵みを数えて祝う日です。そういう日に、知っておいてほしいことがあるのです。それは、語り継ぐべきこととして知って欲しいこと。それは、この教会は2つの源流が一筋とされて、大きく流れ出したと群れであるということであります。今から63年前、戦災で集まってきた信仰者たちによって、伝道が開始されました。誰もが、食べることもままならない時です。確かに衣食住が整うことは、大事なことでした。でも彼らは何よりもまず、「あなたと神様が一緒におられる。何も無いあなたの全てを、守っておられる方がおられるから」と、福音が伝えられることが、最も大切だと知っていたのです。福音の宣言が、戦後の復旧の土台だと知っていた。だからその彼らによって、伝道が開始されたのです。
 そのころ時を同じくして、米軍補給廠の中にも御言葉を聴く群れが生まれていました。チャペルの小部屋で、聖書研究会が開始されたのです。暫らくしてそのメンバーに、「自分たちだけが礼拝に与れて、満足していてそれでいいのか。いや、主の恵みを語り伝えねば」と、伝道の思いを与えられるのです。そしてその思いが流れ出し、補給廠を出て、この町に教会を建てようとした時、既に「相模原教会」という名称が登録済みであったことを知らされます。さらに詳しく調べるにつれ、その相模原教会の牧師も教会員も、戦後の落ち着きとともに、それぞれ新しい地に移っておられたことも分かります。礼拝は中止され、伝道の流れは途絶えかけていたのです。そこで「相模原教会」の名称を、聖書研究会のメンバーが継ぐことを決めたのです。それは、2つの伝道の源流が、1つの奔流となって流れ出した時でした。
 振り返れば、相模原教会も、補給廠での聖書研究会も、主の福音を伝えたいとの小さな思いを与えられて、その思いが湧き上がり、豊かな水が流れ出して川となった流れです。思いは1つなのです。伝道したいということです。だから2つの流れが合流することは自然だったでしょう。でも、と今回改めて私は思うことがあるのです。それは、聖書研究会のメンバーが、合流することを決めて名称を継承したのは、1952年のことです。それなのに彼らは、自分たちの創立日を、その名称継承の日に置くのではなく、そこから遡って相模原教会が教団で承認された、1948年7月12日としたのです。つまり自分たちの伝道がいつから始まったのか、それを、「自分たちが相模原の地に踏み出した日に置かない、自分たちの業に据えない」、と決めたということです。彼らは、「神様がこの地に伝道を開始して下さった日に、自分たちの伝道開始日を据え直す」と、決めたのです。皆さん、相模原教会の始まりを知っていただきたい。私どもは、「伝道したいという思いが流れ出した2つの源流を持っている群れである」こと、さらに「神が伝道される御業に従う群れである」こと、それらを遺伝子として持っている教会なのです。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 18:00| 教会の沿革