2011年06月01日

<主日礼拝の内容について>

讃美歌とは
 教会の中にある「音楽」は、礼拝に集まる者の心を「神礼拝」することへと向かわせる助けをします。ですから、わたしたちは讃美歌の曲を通して礼拝することを喜ぶのです。
 しかし、讃美歌は耳の楽しみではなく、その歌詞を抜きにしてはあり得ないものです。歌詞は、神と共に歩みキリストを告白して生きた信仰者たちの言葉です。ですから、讃美歌を斉唱することは、その言葉をわたし自身の信仰の言葉として、思いを重ねながら告白するということです。讃美歌は、そのようにして礼拝者の心を何よりも神へと向かわせるのです。
 そこに、礼拝に集う者たちが、一つの心となって曲に導かれながら、神を賛美する姿があります。この地上の賛美の声は、既に信仰の生涯を走り終えた聖徒らの天上の賛美に、呼応するように響くのです。
 最後に「アーメン」と唱和します。「アーメン」とは、「本当にその通りです」という意味の言葉です。

ざんげの祈りとは
 キリスト者の生活は、神の前でのわたしたちの悔い改めと、それに対する神からの赦しの宣言という相互の息づかいの中にあります。それゆえ、悔い改めは神礼拝の中のとても重要な部分なのです。これが「ざんげの祈り」です。
 「ざんげの祈り」は、わたしたちの教会では礼拝の初めのほうにあります。それでこの祈りは、礼拝をしようとする者が、まず罪を悔い改めて神に近づく「近づきの祈り」とも言えるのです。またこれは、祈る者一人ひとりが、キリストの罪の赦しを願って進み出る祈りでもあります。わたしたちは共に、主イエス・キリストによる赦しを願い、恵みを求めるのです。そのあと、これに応答するように罪の赦しの言葉が宣言されます。

聖書朗読とは
 聖書の言葉は、神からの語りかけである「神の言葉」そのものです。そしてわたしたちの礼拝は、何よりもまず、神の側からの人間への語りかけによって、起こされるものなのです。教会の礼拝は、この「神の言葉」をこそ第一のものといたします。
 ですから、聖書朗読は単なる書物の読み聞かせではありません。朗読者を通して語られた言葉において、神はわたしたちに到来され、わたしたちと出会われるのです。生きておられる神の言葉が、わたしたちに与えられる時です。心を静めて、み言葉に集中しましょう。

信仰告白とは
 聖霊の導きによって、人の心に信仰告白が起こります。
 ここで告白する「信仰告白」は、聖書全体が証言する啓示の核心を明らかにしてくれるものです。ですからわたしたちは、自分の唇で「信仰告白」を読むことを通して、わたしたちの信仰とは何なのかを公にするのです。
 初代教会の迫害の時代、この信仰の核心を告白することは、命がけのことでした。そういう「使徒信条」が、連綿と今日まで告白され続けてきたのです。それは時間を超え、また場所を超えた、世界中の「キリスト教会の信仰」そのものです。その大いなる告白の言葉に、わたしたち一同も、自分の信仰の告白の言葉として声を重ねるのです。

交読文とは
 キリスト教会は、その始まりの時から、会衆が一つとなって神を賛美するために「詩編」を歌いました。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」(詩編23編1節)と歌った時、会衆は羊のために命を捨てられたお方を思い起こしました。詩編22編では、救い主の受難を、詩編24編では昇天と栄光について心に刻んだのです。
 教会は2000年にわたって、この恵みの形式を引き継いで来ました。そして、その歴史の中で「詩編」以外にもいくつかの聖書個所が加えられ、それは「交読文」となったのです。
 わたしたちは現在この言葉を歌うことはしませんが、その内容は「賛美」です。ですから、礼拝において、神に向けられて晴れやかに感謝しつつ、声を合わせて唱和するのです。

牧会祈祷
 牧師が、全会衆を代表して祈りをささげます。
 もともと公同の礼拝で祈るのは、わたしたち自身です。ですから「牧会祈祷」とは、牧師の祈りをただ受動的に聞くというだけのものではありません。わたしたちは、ここで祈られる祈祷に導かれながら、主体的にこの「公の祈り」に添うのです。最後に一同が「アーメン」と力強く応答することによって、祈りは教会の祈りとなります。

説教とは
 説教は、聖書に基づいて語られます。そこで、わたしたちに向けて「良き知らせ(福音)」が宣言されます。それは、神がこのわたしを愛し、わたしのために独り子を与えて下さったという宣言なのです。
 説教において、この「良き知らせ(福音)」が自分へと告げられたと受け取る出来事が起こります。これは、聖霊の働きによってのみ起こされる、神のみ業です。説教を語るのは牧師ですが、聖霊が働いて、その言葉が神ご自身のあなたへの語りとなって、聴き手の心に留まるのです。 このみ言葉を聴くところに、信仰が生まれるのですから、説教は信仰者の生活の中心でもあるのです。

posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 01:55|   - 礼拝順序・内容