2011年05月31日

第2章 罪とは何か


Francisco de Goya『The Shootings of May Third 1808』(1814年)。

罪と業と汚れ
 完全無欠な人間はいません。どこかしら必ず欠点があります。それが高じて大きな事件を起こしたり、又激しい自己嫌悪におちいったりします。特に人と人、国と国との争いごとには人間の深い「罪」を感じずにはおれません。仏教では業という教えがあります。これは宿命論を含んでいて、キリスト教の「原罪」に少し似ていますが、座禅や念仏その他信心の行為によってそれを脱却する可能性があるものです。「悟り」とはその脱却した状態のことを言います。しかしキリスト教で言う罪は世の終わりまで人から無くなることはありません。
 ところで神道宗教では人間の中に罪とか業というものを認めません。人間世界の中に悪といわれる現象が起こるのは、禍津日の神の仕業であり、人間にとっては本来あってはならない汚れが身にまとわり着いたようなものです。ですから大事なことはそれを払って取り除いたり、水や塩でお清めをしたりすることなのです。
 しかしキリスト教が教える罪は人間存在の中核にあるもので、決して取り除くことも出来ませんし、悟って脱却することも出来ないものです。人間=罪人という構造は、人間の側からはどうしても越えることの出来ない実態なのです。


Rembrandt Harmenszoon van Rijn 『Adam and Eve』(1638年)。

罪の前提とその本質
 では人の罪はどこから生じたのでしょうか。それはまず人間が<神によって造られた存在>であるという前提に基づいています。神は私たちを「御自分にかたどって」(創世記1章27節)造られました。また神は「土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2章7節)のです。こうして人は神に対して<創造者 ― 被造物>という関係と共に誕生したのです。この教えは、神と共に、神に従って生きる時に人であり得るということを示しています。
 ところが神が最初の人間アダムに「善悪の知識の木」からは取って食べてはならないと命じられたのに対して、アダムとイヴは蛇にそそのかされてそれを取って食べてしまいました。この行為は、神の命令に対して自分たちが自立的存在であることを示そうとしたこと、又取って食べたのが「善悪の知識の木」の実ということから、神の判断とは関わりなく自分たちの判断、決断能力を持とうとしたことを意味しています。
 ここに罪の本質がよくあらわれています。罪とは、自分たちの生と死を神と関わりないものと見なし自分たちの意思と力だけで決めていくということ、そしてまた神の意思よりも自分たちの判断を優先していくということなのです。通常罪の行いとされている殺害や盗み、嘘、暴行などはその結果あらわれたしるしであって、罪の本質はまさしく自分を神とする<自己中心>なのです。そしてこの<自己中心>はすべての人にある、この罪から誰一人逃れられないと聖書は語るのです。


Tiziano Vecellio『Cain and Abel』(157?年)。カインとアベルー最初の兄弟殺し

罪のあらわれ
 こうして罪の本質を深く内に持った人間は以下のようなしるしを身に帯びることになります。まず「神から身を隠す」(創世記3章8節)ようになります。出来るだけ神から離れて生きようと致します。次に自分が犯した事を他人のせいにして責任転嫁を致します。アダムは「女が木から取って与えたので食べました」と言い、イヴは「蛇がだましたので食べてしまいました」と言い逃れを致します。この結果、人に出産と労働の苦しみ、そして死がもたらされたと聖書は告げます(創世記3章16〜19節)。
 新約聖書にはユダヤ人・ファリサイ派の人たちの罪が指摘されています。主イエスのたとえ話です。ファリサイ人は普段の自分の信仰生活を誇る祈りを捧げます。「わたしは週に二度断食し、金収入の十分の一を捧げています」。ところが徴税人の方は「神様、罪人のわたしを憐れんでください」とだけしか祈れなかった。キリストは、徴税人の心砕かれた祈りが神に聞かれてファリサイ人の祈りはしりぞけられたと語ります。ファリサイ人の中にある「傲慢」、この罪を鋭く指摘されたのです。
 神から離れ、自分中心に生き、己れを誇る、ここに私たちすべての者の罪があるのです。このように人の罪は<自己中心>が核となっています。それで、どうしても自分からは克服することができず、ただイエス・キリストによる以外に救いはあり得ないのです。

(発行) 日本基督教団 福音主義教会連合    [転載不許可]
(編集) 伝道研究委員会
私たちの教会は、世界神霊統一協会(統一教会)、ものみの塔、モルモン教会などとは一切関わりがありません。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 00:00| 『これが知りたい12章』2