
[Daily Bread]
老人と神さま
聖書に「見よ、『人の子』のような者が、天の雲に乗り「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み、権威、威光、王権を受けた。」(ダニエル書7章13〜14節)というみ言葉があります。ここで神さまのことが「日の老いたる者」と表現されています。ユダヤ・キリスト教信仰では、古くから「老い」と「神(信仰)」とは深く関わりがあるとされてきました。それは、人が神の国から地上に生れ来て、死んでまた神の国へ戻っていくことを考えますと、神の国に近いのは子どもと老人ということになるからなのです。クリスマス物語でも、老人達が重要な役割を果たしています。ザカリアとエリサベト、シメオン、アンナ、といった人々です。神の子の誕生に人生を積み重ねてきた老人達の存在が無くてはならないことが示されています。
年を重ねるということはより深く神に近くなるということ、そしてキリストの誕生の意味がより深く分かるようになるということなのです。シメオンがキリストと出会った時の言葉はこうでした。老いた者でなければ言えない信仰の告白です。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安
らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であ
なたの救いを見たからです。」
(ルカによる福音書2章29〜30節)

Hyacinthe Rigaud
『The Presentation in the Temple』 (1743年)
中央の白髪の老人がシメオン。左下に、主イエスを抱いて神殿に入ってきた母マリアの姿があります。シメオンは、幼児を見るなり、急いで立ち上がって抱きあげようと手を伸ばしています。
『The Presentation in the Temple』 (1743年)
中央の白髪の老人がシメオン。左下に、主イエスを抱いて神殿に入ってきた母マリアの姿があります。シメオンは、幼児を見るなり、急いで立ち上がって抱きあげようと手を伸ばしています。
長老を重んじる
教会では、老いた者を特別に重んじる良き伝統を受け継いでいます。旧約聖書には次のように教えられています。「白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい」(レビ記19章32節)。この精神を受け継いだキリスト教会でも老いたる者を特別に「長老」と呼んで制度的にも位置づけてきました。ですから新約聖書には「長老」という言葉が幾度となく出てまいります。
「よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです」(テモテへの手紙一5章17節)。「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい」(ヤコブの手紙5章14節)。「さて、わたしは長老の一人として、…長老たちに勧めます。あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、…むしろ、群れの模範になりなさい。…同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい」(ペテロの手紙一5章1〜5節)。
教会は確かに、人生と信仰生活の年月を積み重ねた「老いたる者」の存在の意味を明確に位置づけ、それによって成り立っている世界です。

屋久島にある巨大な杉。樹齢2千年以上になる年輪を重ねた古木は、とても堂々としている。
成熟と成長
コリントの信徒への手紙二4章16節に、「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」とあります。これは人がどんなに歳をとっても内なる霊性はますます成長し、成熟していくということを教えています。肉体は衰えていっても霊性は成長し続けていく、ここに老いの恵みがあります。
同じコリントの信徒への手紙二3章18節に「わたしたちは皆、…栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。」とあるのも同じ恵みを示しています。霊性の成長と成熟によって神を証しし、人々を導いていく。これは特に老人に与えられている特別の力なのです。
キリストにあって老いていく、ここに信仰の豊かさと恵みが凝縮されているのです。
(発行) 日本基督教団 福音主義教会連合 [転載不許可]
私たちの教会は、世界神霊統一協会(統一教会)、ものみの塔、モルモン教会などとは一切関わりがありません。