
人はなぜ結婚するのでしょうか。このような質問をしますと、最近では、恐らく多くの方が、「愛しているから」と答えるのではないかと思います。確かに、愛しているかどうかは結婚の大事な要件の一つでしょう。しかし、聖書は、結婚にはそれ以上の理由があるというのです。
結婚式でよく読まれる聖書の言葉に、「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。……夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をお与えになったように、妻を愛しなさい」(エフェソの信徒への手紙5章21〜25節)というものがあります。ここでは、夫婦に対して、互いに愛し合い仕え合えと言っています。結婚する際に愛しているかどうかというのではありません。結婚してから、互いに愛し仕え合う夫婦。ここに聖書の重要な結婚観があると言ってよいでしょう。ですから、結婚式でなされる誓約も、「あなた方は今互いを愛していますか」とは聞きません。そうではなく、「愛することを約束しますか」と問います。結婚は、愛しているからするのではなく、神がお互いを、愛するために与えて下さったと信じ、そのような者として愛することを神に誓約することです。主イエス・キリストは、「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(マタイによる福音書19章6節)と言われました。結婚式は、その神のご決意を全うしようとする、神と二人の厳かな契約の儀式であるのです。
助け合うために
聖書は、そもそも人間は、互いに助け合うために男と女とに造られたと語っています。創世記2章にはこのように記されています。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」(創世記2章18節)。結婚は、この言葉が実現する時でもあります。つまり、結婚する相手を与えられるということは、具体的に助け合う相手が与えられたということでもあるのです。
だからこそ、結婚式では、「あなたはこの兄弟(姉妹)と結婚し、神の定めに従って夫婦となろうとしています。あなたはその健やかな時も、病む時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、そのいのちのかぎり、堅く節操を守ることを約束しますか」「約束します」と神の前で誓約をします。神がこの相手を、あなたが愛し助け合う対象として与えて下さったと信ずるかどうか。そして、そのようにするかどうか。結婚しようとしている方も、また既に結婚されている方も、互いをそのようなものとして神から与えられた人として受け取り直しいつもこの誓約に立ち帰ってみるべきでしょう。
キリストの愛を知る家庭
しかし、結婚生活の中では、互いに愛せないと思う時がやはりあるのではないでしょうか。しかし、そのような時、互いに愛し仕え合うことを教えている先ほどのエフェソの信徒への手紙の言葉をもう一度思い起こしていただきたいのです。そこでは、互いに愛し仕え合うことは、キリストと教会との関係に重ね合わされていました。キリストは教会に連なる私たち一人一人に、十字架でご自分を犠牲にされるほどに仕え、愛しておられるということが前提されているのです。ということは、私たちが互いを愛せなくなる時、是非一つのことを思い起こしたいと思います。キリストは、私たちの中に、私たちではとても愛せないようなものを見つけられるときにも、なお愛して下さっているということをです。
結婚生活は、そのような、私たちの思いを遙かに超えた神の愛を学ぶ場でもあります。愛せない時に、そのような時でもなお愛して下さる神を思うことで、神の愛の深さを知ることができます。神の愛は、私たちの想像以上に深いのです。大体において、私たちは、愛するということがどのようなことであるかすらよくわかっていない部分があるのではないでしょうか。愛することは、自分の思いを相手にぶつけることとは違います。また、相手にも自分を愛して欲しいというように、見返りを求めるものとも違うのです。キリストの愛はそれ以上の愛です。ここに本当の愛の深さがあります。愛せないと思うような時でも、なお自分を与えるほどに仕える愛。そのような本当の愛を、キリストから学ばなければならないのではないでしょうか。
そのためにも、結婚式の時だけでなく、夫婦が常に主の十字架の下に立ち続ける、つまり礼拝し続けることが重要です。愛する対象を神から与えられ、誓約したのになお愛せないことがある私たちです。しかしそこで共にもう一度キリストの十字架を見上げるなら、その私たちをなお赦し、愛されるキリストの愛があることを学ぶことができます。そして、自分が思っていた以上の愛の深さを知って、もう一度互いを愛してみることへと押し出されてゆきたいと思うのです。
「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたち
を愛してくださったからです。」
(ヨハネの手紙一 4章19節)
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