
キリスト教が信じている神さまは日本(宗教)の神々とずい分と性格が違います。その違いをよく知らないと、キリスト教そのものがわからなくなってきます。このパンフレットによってその一部だけを見てみたいと思います。
超越神とヒトガミ
キリスト教の神さまは人間や世界・宇宙すべてをお造りになった方で、私たち人間とは全く次元の異なる存在です。たとえば私たち人間は必ず死んでいきますが、神は決して死なれることはありません。私たち人間はいろんな意味で不完全な存在ですが、神は完全なお方です。どんなに立派な人であっても、決して神にはなれない。あくまで神は神であって人ではなく、人は人であって決して神にはなり得ない。それがキリスト教信仰の根幹となっています。
しかし日本ではそうではありません。神と人とにそんな厳密な区別はなく、いや動物とすらそんなに区別がありません。江戸時代の国学者本居宣長が「何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云ふなり」と定義しています。どこか少しでもすぐれたこと、変わったこと、おかしなところがある人間や動物、植物はみな神として認められます。それで、菅原道真(天神さま)、豊臣秀吉(豊国大明神)、徳川家康(東照大権現)などもみな神として崇められています。
また死んだ人はみな神霊となり、それぞれの家の先祖神となります。これが先祖崇拝です。死んだ人だけでなく、今生きている人でも特別にすぐれた能力(カリスマ)をあらわしている人は「生き神さま」としてあがめられることが多くいのです。
これらすべてを総称して「ヒトガミ信仰」と言ったりしますが、いずれにしても、神と人とが断絶することなく、何らかの仕方でつながっているのが日本の神信仰の特徴です。
普遍神と民族神
キリスト教の神さまは父、子、聖霊という三様の姿を持っておられますが、本質的には唯一神であられ、民族や国家を越えてすべての人々を支配し導いて下さる神です。ですからキリスト教信仰は世界中に広まっていくのです。この信仰によってどの国の人とも仲良く愛し合うことが出来ます。それを具体的にあらわしているのが「教会」です。ですから教会は世界中に建てられています。
しかし、日本の神さまは本質的に日本人だけの神です。この信仰によって日本人は他の国の人々と違って特別にすぐれた民族とされます。たとえば天照大御神という比類なきすぐれた神さまはただ日本人だけを照らしておられるのであって、この意味で日本人だけが特別に選ばれ、すぐれた、神々の子孫ということになります。「天皇を中心とした神の国・日本」という表現がなされるゆえんです。この信仰がある限り国際的に貢献することは難しいと言わなければなりません。

愛の神と森の神
キリスト教の神さまの本質は「愛」です。愛においてこそ神は最もよくご自身をあらわされます。「わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神もかれにいます」と聖書に言われている通りです。ですから教会は世界のすべての人々と愛し合うために2000年間世界中に向かって伝道してきたのです。
これに対して日本の神々は「聖なる森(杜)」におられる神々です。日本宗教は何よりも森を大事にします。この美しき自然と神々は深く結びついています。まさしく日本の神々はこの水と緑豊かな日本でしか活動し得ない存在であります。日本宗教は自然宗教とも言われますが、正確に言うと「美しき自然」の宗教であり、神々であります。モーセに率いられたイスラエル民族が40年間彷徨(ほうこう)した岩と砂ばかりのシナイ砂漠のような所では日本宗教は成立し得ず、神々も生息し得ないでありましょう。
キリスト教の神はどんなに苛酷な自然であってもそれを越えて愛によって支配し、人間相互を愛と平和に導いて下さるのです。
「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。」
(ヨハネの手紙一4章7節)
(発行) 日本基督教団 福音主義教会連合 [転載不許可]
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