2011年04月18日

第2章 礼拝


[主の日 朝の礼拝]


教会の歩みの中心
 教会の歩みの中心は、礼拝です。教会は何よりも礼拝を大切にしていますし、礼拝を抜きにした信仰生活は考えられません。
その礼拝では何がなされるのでしょうか。礼拝では、讃美歌が歌われ、祈りがなされ、聖書が読まれます。しかし、礼拝は、教会に何かがまつられていてそれを拝み、それに向かって祈り、歌を歌うというのではないのです。礼拝の中心には、神の言葉としての聖書があります。礼拝では聖書が読まれ、牧師によってそれに基づく説教がなされます。それを通して、私たちは、神はどのようなお方であり、私たちに何をして下さっているのかを知らされ、その神に目を向け心を向けます。そしてそこに、礼拝の中心があるといってよいのです。


Albrecht Dürer 『The Resurrection of Christ』 (1510年)

キリストの復活を記念して
 礼拝は、原則として毎週日曜日に行われます。日曜日には、世界中の教会で礼拝が行われるのです。もともとユダヤ教では、礼拝の日は土曜日でした。しかし今からおよそ2000年前、主イエス・キリストが十字架にかかって死なれた後、その三日目に復活したのが日曜日であったことから、それを記念して、キリスト教では日曜日に礼拝をするようになりました。
 礼拝が、十字架にかかられた主キリストの復活を記念する場だということは、礼拝はまず何よりも、聖書を通してキリストの十字架と復活の出来事を指し示される時だということです。礼拝は、聖書の言葉を通して、神の御子であるキリストが私たちのために人となってこの世に来られたこと、そして私たちの罪を赦すために十字架にかかられたこと、そして死に打ち勝ってよみがえられたことを伝えます。そして、私たちは、天にいます神が、その全てをなして下さっているほどに、私たちに関心を向け、私たちを愛し大切にされている方であることを知らされるのです。

本当の安息を与える場
 元来礼拝の日は、「安息日」と呼ばれてきました。私たちは日々の生活の中で、安息を得ているでしょうか。平安があるでしょうか。日本では多くの人が、日曜日を遊びに出かけたり、体を休めるために使います。しかし、それによって本当に安息は得られるでしょうか。
 たとえ体を休めても、気晴らしをしても、「私は一体何者なのか」「何故生きるべきなのか」「死とは一体何なのか」という、私たちを恐れさせ悩ませる問題は解決しません。しかしそれでは、本当の意味で安息を得ることにはならないと思うのです。
 礼拝にはその解決の言葉があります。たとえ失敗だらけの人生であったとしても、あなたはなお神の子とされ、神に必要なものとされているということが語られます。また、死は全ての終わりではなく、私たちも終末にあのキリストのようによみがえらされ、その日に来るとされる神の国に共に生かされるということが、礼拝を通して明らかにされます。そして、どのような苦しみがあるとしても、世界がどのようになったとしても、そしてどこに行くことになったとしても、そのことは変わらないと告げられるのです。この事実こそ、私たちを安心させてくれます。そこに、安息と平安があります。

讃美という応答をもって
 ですから、礼拝には、気晴らしや休息では決して得られない喜びと平安とがあると言ってよいでしょう。礼拝は喜びの声で満ちています。この私のようなものが、神から大切にされ、愛されていることが確信されるとき、それは神への讃美となって表れるのです。あの主イエス・キリストを生むことになったマリアはこう神を讃美しました。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです」(ルカによる福音書1章47〜48節)。私たちもまた、この私が神に目を留められていることを、礼拝で讃美歌を歌って神を讃美し、祈りをもって神に感謝します。
 確かに世界は混沌とし、希望がなかなか見出せないかもしれません。日々の生活は、私たちを疲れさせ、魂を萎えさせるかもしれません。けれども、礼拝は、いつも歌声で満ちています。それは、礼拝に本当の喜びがあり、安息があるからです。そして礼拝は、その喜びの内に、一週間のそれぞれの歩みへと新たな思いで押し出してくれるのです。
 礼拝は全ての人に開かれています。どうぞどなたでも礼拝においでになってみてください。そして、共に喜びを与えられ、希望を与えられて、神を讃美しようではありませんか。
「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」
(ヘブライ人への手紙4章16節)


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posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 00:10| 『これが知りたい12章』