2020年03月08日

説教 「主よ思い起こしてください」

2020年3月8日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
詩編25編6〜11節
25:6 主よ思い起こしてください
   あなたのとこしえの憐れみと慈しみを。
25:7 わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず
   慈しみ深く、御恵みのために
   主よ、わたしを御心に留めてください。
25:8 主は恵み深く正しくいまし
   罪人に道を示してくださいます。
25:9 裁きをして貧しい人を導き
   主の道を貧しい人に教えてくださいます。
25:10 その契約と定めを守る人にとって
   主の道はすべて、慈しみとまこと。
25:11 主よ、あなたの御名のために
   罪深いわたしをお赦しください。


 この詩人は、まず神様に、「主よ思い起こしてください。あなたのとこしえの憐れみと慈しみを」と言います。神様は必ず自分を慈しんでくださるはずだと、信頼し切っているんです。そういう近い関係に生きていたのです。でも驚いたのは、そう言い切れた言葉に、彼がすぐに続けて言った言葉を見た時にでありました。「わたしの若いときの罪と背きは、思い起こさないで」と。つまり彼には、神様に対して申し開きの出来ないようなことをしてしまったという記憶があるのです。それも、まだ償いが終わっていないという後ろめたさがあるんです。償いの重さ厳しさを知っている詩人だから、「忘れて欲しい」と言いたいのは分かります。でも、私がこの詩を不思議だと思ったのは、彼が神様に「あなたの慈しみを思い起こして。与えて」と言った、その口で、「私の悪いところは忘れてね」と言っていることなんです。なんだか、調子良すぎはしませんか。

 それでも詩人は、その2つを同時に言います。そのことを思い巡らしていて、ふと私は「ここにあるのは、神の慈しみと、人の罪とが、入り混ぜられて、一つに溶け合おうとしていることだ」と気付いて、ハッとしたのです。「ここに、神の恵みと、神の赦しが、一つに重ねられている」と思えたからです。そして「この詩人はまだ見ることは出来なかったけれど、彼が思い描いた、神の慈しみと、人の罪が重なるということが出来事化した、その場所を私は知っていた」と気付いたからです。それが、イエス様が架けられた十字架の上ではなかったのですか。十字架の上で、神の御子が死なれる。そこでイエス様の弟子たちは「神の慈しみと、人の罪とが重なり合い、混ざり合い、一つに溶け合っている」ということを目撃したのです。そしてキリスト者の私どもも、信仰によってその出来事を目撃するのです。「最も輝く神の慈しみは、私の十字架に届けられた」と。
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