2020年02月02日

説教 『心から出るもの』

2020年2月2日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
マタイによる福音書15章10〜20節
15:10 それから、イエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。
15:11 口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」
15:12 そのとき、弟子たちが近寄って来て、「ファリサイ派の人々がお言葉を聞いて、つまずいたのをご存じですか」と言った。
15:13 イエスはお答えになった。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、すべて抜き取られてしまう。
15:14 そのままにしておきなさい。彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」
15:15 するとペトロが、「そのたとえを説明してください」と言った。
15:16 イエスは言われた。「あなたがたも、まだ悟らないのか。
15:17 すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。
15:18 しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。
15:19 悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。
15:20 これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない。」


 ユダヤの人々は、汚れが体に入らないように食前に手を洗えという、浄めの掟を持っていました。しかしイエス様は、18節、「口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す」と言われます。人と接する時に、願ってもいないのだけれど、私どもの中にあるものがヒョイと外に出る。それが隣人を汚してしまうのです。そのヒョイと出るものが、心の中から出るもので、19節、「悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口」だと、イエス様は言われたのです。

 私どもは、自分の心の奥底にあるものが何なのか、悟ることが出来るのは何処なのでしょうか。それは、イエス様が、私の罪の為に身代わりになって死なれるのを見る場所以外ではありません。自分で自分の心の中を覗いたって、そこに汚れがあるなんて分かりっこありません。ただ、私の代わりに、罪の償いのために死なれるイエス様の姿を見た時、その時にだけ悟れる。自分がしでかしたことの重さがです。

 そして、です。そこで更に、私の身代わりなのに、イエス様が十字架で死なれることから逃げない姿を見たのなら、そこからだけ受け取れる事がある。それは、身代わりになることが、御子の願いだったということです。それは、イエス様が私を赦して下さっていること、私は愛されているということが分かるのです。人を傷つけた私なのに、そんな私どもを愛し方がいる。私を赦して下さった方が、たった一人おられる。それが、私どもの救い主イエス様であられるのです。

 イエス様だけが、自分でも覗けなかった暗闇の部分を知っていて下さいます。そこを、必死になって覗いて下さって、目を凝らして一つ残らず捜し出して下さって、ドブさらいをして下さって、その罪を全部拾い出して下さるのです。私どもを救いたいからです。隣人の関係に破れたままで生きちゃいけないって、イエス様の方が真剣になって下さるのです。信仰者は、このお方にすがって生きるのです。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 13:08| 主日説教要約