2020年01月12日

説教 『自分を吟味しなさい』

2020年1月12日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
コリントの信徒への手紙二 13章5〜10節
信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが。あなたがたが失格者なら別ですが……。わたしたちが失格者でないことを、あなたがたが知るようにと願っています。わたしたちは、あなたがたがどんな悪も行わないようにと、神に祈っています。それはわたしたちが、適格者と見なされたいからではなく、たとえ失格者と見えようとも、あなたがたが善を行うためなのです。わたしたちは、何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます。わたしたちは自分が弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になることをも、わたしたちは祈っています。遠くにいてこのようなことを書き送るのは、わたしがそちらに行ったとき、壊すためではなく造り上げるために主がお与えくださった権威によって、厳しい態度をとらなくても済むようにするためです。


 コリントの教会の中に争い合いがありました。彼らはキリストを信じていると言いながら、自分勝手に生きていたのです。その彼らに、「自分を吟味しなさい」と告げたのです。しかしパウロはそこに続けて「あなたたちは自分の内にキリスト受け入れたよね」と告げるのです。つまり「信仰に生きている姿があるなら、あなたの内にはキリストがおられる。これは重なるんだ」ということです。

 しかしどうして、キリストのことも知らされている彼らが、争い合うのか。そんな彼らには、坂を転がり始める瞬間がありました。それは隣人よりも、神よりも、自分を愛することに傾いた瞬間です。神を愛さなくなることじゃなくて、神様よりも自分の遣り方分を愛して、神を第1に愛することを後ろに追いやった時、隣人を傷つける坂道を転がり始めたのです。

 でももしも私どもが実際の生活を振り返って、自分も大事な人を傷つけてしまったと、心の端っこで悔やまれて、謝りたくって、赦してもらいたい人がいると気付くなら。「こんな私はどうしたら良いのですか」と、祈れたらなんです。そこでだけ、イエス様が語りかけて下さる声を聞くのです。「あなたの罪は赦された」と。イエス様は、罪人と共に居られる方です。「自分が罪人だ」と知っている者と、イエス様は一緒になろうとして下さるお方だからです。そして、それを知る者が、自分の内側にキリストがおられると受け取れる人なんです。なぜならキリストが駆け寄って下さるのは、自分の罪と過ちを隠している、私どもの内側だからです。そこで「もう大丈夫だ、“私を”見なさい、あなたの罪は赦された」と言って下さるのです。そこで「嬉しい、今度こそイエス様に喜んでもらえる生活を、隣人を愛する生活を歩きたい」という歩みに、立ち帰れるのです。

 キリストが内におられる、ならばキリストを信じて歩む姿となる。この幸いのループを歩んでいこうではありませんか。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 16:42| 主日説教要約