2019年12月31日

説教 『最初のしるし』

2019年12月29日の礼拝
秋葉恭子牧師(相模原教会協力牧師)
ヨハネによる福音書2章1〜12節
三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在された。


 さて、今日の主題は「しるし」です。「しるし」は、奇跡、不思議なわざとも言い換えられ、しばしば同様の意味に、そしてしばしば一緒に用いられます。人間の理解を超える、驚くべき事柄で、神様の力とその支配を指し示す出来事を意味します。

 イエスさまを信頼して、信じて従った者たちの歩みが、母マリアと召使たちに示されています。イエスさまの母マリアに対する言葉は、「この宴会のぶどう酒がなくなろうと、それはわたしの知ったことではありません」と、冷淡に拒絶しているように思われますが、決してそうではありません。ここでは、むしろその次の「わたしの時はまだ来ていません。」と組み合わせて、「お母さん、そんなこと気にする必要はありません。あなたは安心して飲んでいればいいのです。私は、私の働くべき時がきたら、ちゃんとやりますから」と言っておられるのです。神様がお定めになったイエスさまの働くべき時、その時に、イエスさまは主権的に、自発的にきちんと働かれるのです。

 世話役はユダヤ教の指導者たち、召使は弟子たちと重なります。世話役は、ぶどう酒がどこから来たのか、知らなかった。「どこから来たのか」、この言葉はぶどう酒を与えたお方、イエスさまがどこから来られたか、さらにはその答え、父なる神様のもとから来られた、ということを含めて暗示しています。ここでは、「しるし」を見て、弟子たちがイエスさまを信じたかのように書かれています。しかし、後の章で、イエスさまは「見ないで信じる者は幸いである」と導かれるのです。
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