2019年12月22日

クリスマス礼拝説教 『これがしるし』

2019年12月22日の礼拝
相模原教会 辻川篤牧師
ルカによる福音書2章1〜12節
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」


 2000年前、救い主が来られました。でもその日、誰も気付かない。それはきっと、人々が思い描いていた救世主登場の仕方ではなく、あまりにも弱々しく、悲惨の極みに生まれた赤ちゃんだったからです。しかし天使はそれを、救い主のしるしだよと告げたのです。

 ふと、思いました「もしかしたらそのことを、私どもも本当に良い知らせとして受け取れる瞬間があるのかも知れない」と。私どもも願い事を抱えて祈ります。でもなんです。そこでどんなに祈っても、一向に苦しみが解決してくれない時…。闇が続く日々の中で、奇跡を起こしてくれる神を期待して、かえって神様を見失って、神などいないという本当の闇に飲み込まれてしまいそうになる。でもその時なんです、その時こそその深い闇の中に、もしも、そこに届く言葉があったら。それも「救い主がお生まれになった。布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子が、あなたがたへのしるしである」と届いたら。そこでジッと乳飲み子イエス様に目を凝らすことが出来たなら。私どもは、自分が放り込まれている暗い闇が、イエス様を包んでいた暗闇と重なっていることに、気付かされて行けるのかも知れない。そこで私どもは、神は、私の現実の苦しみを目掛けて天から降って下さるのだと知るのです。イエス様こそ、苦難に苦しむ私の所に、私どもの現実に重なるために降って来られたのです。

 救い主なる神の御子が、私どもの現実の中に来らました。それは、神様は私どもの困難を取り除いて下さるという方ではなく、私どもの困難の中に一緒に立って下さる方ということです。それは、私どものそれぞれが抱える悲惨の中に、イエス様が来て下さっということです。それを信じるなら、です。たとえこれから先、私どもが心も体も押しつぶされそうな苦しい現実に囲まれても、そこで確信することが出来る、「イエス様が、私は一緒に居る」と。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 18:28| 主日説教要約