2019年09月08日

説教 『叫び声をあげた』

2019年9月8日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
マタイによる福音書14章22〜33節
それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

弟子たちだけでガリラヤ湖に船出した夜。湖の上を歩いてイエス様が近づかれます。でも皆、「幽霊だ」と思って叫び声をあげたのです。その叫びを聞かれた瞬間、イエス様は「すぐに」彼らに話しかけられたのです。この「すぐに」というのは、叫び声をあげた弟子たちに一直線に駆け付けられたということです。もう安心。しかしマタイはそこで終わらずに、もう一度物語り始めたのです。ペトロが「湖の上を歩かせてほしい」と願い出て、そこで沈みそうになり、また怖くなって叫んだという出来事をでした。

神様を信じたら、人生に嵐が無くなるなんてことは決してありません。キリスト者にだって、嵐は繰り返し来る。そこで木の葉のように揺さぶられて、繰り返し疑ってしまうんです。その姿をペトロが生きていたのです。そういうペトロが、沈んで行く時、その腕を捕まえて下さった方がおられたのです。それが、イエス様でした。それが、救い主なのです。それもまたもや、31節、「イエスはすぐに」とあるように「すぐに」でありました。今朝聖書は繰り返し、「叫び声をあげた」と一対になるように「イエスはすぐに」と告げるのです。それはまた、イエス様が掴む御手は、沈む者と共にあるということ、義しい者に差し伸べられるんじゃないことをも示します。人間の叫びは、疑う者の「不信仰の叫び」です。でもそこに「イエスはすぐに」、なのです。主イエスが目を離さないでいて下さったのは「疑う者」、「信なき者」であった。そこで、「安心しなさい。わたしだ、恐れることはない」と繰り返し捕まえて下さるためにです。

皆さん、十字架の上で私どもも、「私は罪のゆえに沈みます。助けてください」と叫び声をあげた。その時私どもは「わたしだ。恐れることはない」と言っていただけて、捉えられたのです。私どもの傍にいつでも駆け寄って下さる主がおられる。その主がおられるから、繰り返しやって来る強い風に怖れが起こっても、生きて行けるのです。
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