2019年05月19日

説教 『福音が福音である訳』

2019年5月19日の礼拝
相模原教会協力牧師 西田恵一郎


人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ、ならびに、わたしと一緒にいる兄弟一同から、ガラテヤ地方の諸教会へ。わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように、アーメン。キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです。しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。


 使徒パウロは軌道修正のためにこの書簡を書きました。ガラテヤの諸教会が福音から離れる危機にあったので、改めて福音とは何かを説き、福音にふさわしい生き方を示したのです。パウロは明らかに心を痛め、失望しています。「あきれ果てています」(6節)「呪われるがよい」(8、9節)と強く表現している通りです。理由は信徒たちが神から離れ、他の福音に乗り換えようとしているからです。他の福音などというものが存在するはずもありません。福音はただ一つで、パウロ自身が、Tコリント15章3〜8節で「最も大切なこと」として語っているもの以外にはありません。それは、イエス・キリストの十字架と復活の事実で、この事実を信じることで救われるという真理です。宗教改革者ルターは「今日でも福音は多数の教会において根本的に変えられている」と警鐘を鳴らしましたが、21世紀の今日でも同じことが言えます。福音を変えてしまう理由とは、一つに「人の目、人の評価」を気にするところにあるのではないでしょうか。「よく思われたい、受け入れられたい」という誘惑です。模範的人物に映っていたパウロも、実は「人に取り入ろうとして」(10節)いたのです。そうしながら「望む善は行わず、望まない悪を行っている」(ローマ7章19節)自分をよく知っていました。しかし、復活のイエスとの出会いによって、その生き方と訣別することになります。イエスの一方的な恵みによって救われた彼にとって他の福音など存在し得ないのです。イエスの十字架と復活という福音を変質させてしまったなら、救いはないのです。受け入れられたいという誘惑に駆られることはあるでしょう。しかし、その弱さを自覚し、その都度悔い改めるなら、それが神の恵みの道筋を開き、そこを通って恵みが入り、福音を証しする者として私たちを立ち続けさせてくれるのです。「神の僕」として立ち続けさせてくれるのです。
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