2019年05月05日

説教 『故郷にお帰りになった』

2019年5月5日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
マタイによる福音書13章53〜58節
イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。


 故郷のナザレ村に着いたイエス様が、会堂で教え始められた途端にです。人々は「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」と自分の周りを見回して「この人は大工の息子だ」とか考えたのです。人々はイエス様を、イエス様ご自身を見ようとしない、出会おうともしない。イエス様自身を求めようとさえしない。

 イエス様も、ご自分が期待されないと分かっておられたでしょう。でもそこで、少しは悔い改めさせようとか、奇跡で目を開かせようとか、そういう目的があって村に帰られたんじゃないんです。何かを成し遂げる目的を持っておられたんじゃない。ここにある出来事は、主が、ご自分を求めず、無理解で、嘲る人々、そういう姿になる人たちの傍に行かれた、ただそれだけなんです。そして、ただそのことのために故郷に帰られたということ、その1点は確かなことであるのではないですか。

 今朝知るのは、イエス様はご自分が求められていないとご存じであっても、ご自分が期待されてもいない信頼されてもいない、頼られてもいないと分かっておられるのに、それでもイエス様は「そのあなたに会いたい。そのあなたに会わなければ、ただあなたの傍に行きたいから」と、意を決して私ども頑なな「心の故郷」に帰って下さるということです。傍に来て下さることそのものが目的だからと、私どもを求めて下さるのです。あなたは、自分でも気づいていない時にも、あなたの傍に行かねばと近づいて来て下さるイエス様に支えられています。悲しみが余りにも深くて、主を求めることさえ忘れる日でも、自己本位になって勝手気ままに過ごしてしまっている日々でも。それでもその只中に、「あなたの所へ行かねば」と、たとえご自分が敬われないと分かっていても、そこに一緒にいようとして下さるイエス様がいて下さるのです。そのお方が、神であられるイエス様。そのお方が、あなたの救い主であられるイエス様なのです。
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