2019年04月29日

説教 『新たに生まれさせ』

2019年4月28日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
ペトロの手紙一 1章3〜5節
わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。


 私どもは、「生まれ変わりたい」と思うほどの日々を通ることがないでしょうか。心の持ちようではどうにもならないと分かっていて、だからそこで「今の自分を全部取り替えたい」という思いが起こる。そういう私どもにみ言葉は語りかけるのです「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ」と。この「神の憐れみ」ですが、ペトロの場合は、「人間が抱えてしまう現実の苦しみに、神が一緒に苦しんで下さること、神の共苦、神のコンパッション」です。そんな為さり方は、人間には考え付きもしないことでした。神が人と共に苦しむなんて、神が人の罪をわざわざ背負うなんて、神が死ぬなんて、尋常ではありません。そうです、正に尋常でないことが十字架の上に起こったのです。十字架の上には、目に見える「神の共苦」があったのです。だからです。私どもがどんな苦しみの中にある時も、十字架に至るイエス様が受けた嘲り、鞭打ちで裂かれた肉体の痛み、人から見捨てられた痛いほどの悲しみ、とうとう十字架に架けられた「死」を思い起したら、そこに私どもの苦しみで重ならないものは一つもないと分かる。全てをなめ尽くすようにして、イエス様は死に至られたからです。

 でも私どもは十字架を見上げる時に、そこに見るのは、イエス様の「死」だけではないことも知っています。復活祭の礼拝で知ったからです、「イエス様は十字架上での死を、私どもと一緒に歩くように歩いて下さったのち、しかしその死を打ち破って、ご復活された」と。苦しみと死が、そこで行き止まりの終着駅ではないことを、復活の主は現わしにして下さったのです。そして、「あなたも、こうやって新たに生まれさせられる」と、甦りのお姿をも見せて下さったのではないですか。ご復活のイエス様が、「あなたは苦しみも死も通るだろう。辛いだろう、しかしあなたもそこで終わらない。私のように新しくされるのだ」と教えて下さったのです。
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