2019年03月18日

説教 『恵みが共にあるように』

2019年3月17日の礼拝
相模原教会協力牧師 西田恵一郎
コロサイの信徒への手紙4章18節
わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。わたしが捕らわれの身であることを、心に留めてください。恵みがあなたがたと共にあるように。


 本書簡の最後においてもパウロは祈りの要請をしています。自身の使命であり、生きる目的・意味である宣教の業が前進するようにとの祈りです。この祈りはパウロに留まらず、すべてのキリスト者の祈りです。特にこの箇所では、キリストの証人としての個人のあり方をパウロは示しています。@「時をよく用い」(5節)は機会を生かし、その為に良い準備をすること。A「賢くふるまう」(5節)の「賢く」は「知恵によって」とも訳され、「主を畏れることは知恵の初め」(箴言9章10節)とありますが、神を敬い・愛し・従うところから知恵は生まれます。ヨブ記42章では、人間的知恵の否定において初めて神の知恵に至ると教えられ、コリントの第一書簡では知恵はキリスト自身とパウロは語っています。「賢くふるまう」とはキリストとの交わりに留まりながら判断し、選択し、生活することが宣教の働きに繋がるということなのです。B「快い言葉」とは「恵みある言葉」であり、イエスの十字架と復活を通して表された神の愛、そして聖霊による力という意味です。福音そのものである十字架と復活を語る。更に言葉だけでなく、現実の生活において裏付けられた経験を語るのです。「塩で味付けられた」とは経験から生まれた言葉であり、現実味の響きがある言葉なのです。C「一人一人に」(6節)とは、一人を大切にするということです。大使徒パウロによる大掛かりな働きも「一人」から始まりました。最後の18節では、再び祈りの要請をし、苦難を覚悟するよう勧めます。「恵み」で始まった本書簡は「恵み」によって閉じられます。イエスの十字架と復活によって示された神の愛と聖霊の力、その力によって行われる神の業。そして、キリスト・イエスご自身が共にあるようにと祈るしかない。神の恵みがなければ、働くことはおろか、生きることすらできない私たちです。神の恵みが今日も今週も共にあるように。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 09:20| 主日説教要約