2019年03月03日

説教 『キリストの真実にかけて』

2019年3月3日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
コリントの信徒への手紙二 11章7〜15節
それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います。このようにわたしが誇るのを、アカイア地方で妨げられることは決してありません。なぜだろうか。わたしがあなたがたを愛していないからだろうか。神がご存じです。わたしは今していることを今後も続けるつもりです。それは、わたしたちと同様に誇れるようにと機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切るためです。こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。


 パウロが、洗礼を受けたのに偽使徒となってしまうのは、どこに一線があるのかを告げます。それが10節「わたしの内にあるキリストの真実にかけて」ということでした。この箇所をカルヴァンは、「キリストの真実が私の内にある、だから」と訳したのです。

 この「キリストの真実」とは何か、それは、キリストが神様の御心を、私どもの歴史の中で出来事として現わして下さったことです。「人間って誰もが神様を裏切る者で、罪人であるのに。それでも御父なる神はどうしようもない人間を愛して下さる。それを、ご自分の御子キリストを十字架にかけた出来事によって、露に示された」ということです。「御父なる神は、あなたを赦して下さる神だよ」と。十字架に掛けられた御子を見上げたら、私に示された真理、神様の真の御心が分かる。それがキリストが示してくださった真実なのです。「キリストの真実」とは、「キリストによって啓示された真実」と言える。神様がどんなにあなたを愛していて下さるのかが、キリストによって露にされたのです。

 それは、神の言葉である聖書の御言葉によっても、私どもに出来事化します。御言葉は、生ける神そのものだからです。御言葉を聞くところに、そこにだけ、キリストは私どもにも、真実を示してくださるのです。「神が私を今も愛してくださっている」、その真実をです。「神様は私と今、一緒に居られる、本当に一緒にいて下さる」と悟らせて下さるのです。そのキリストの言葉は、真実そのものです。それを、「本当に神が今、私を呼んで下さっている」と受け取るなら、そこで既にキリストが届けて下さった真実に生きることが、始まっているのです。そこを踏み出せば、自分が想像できる程度の未来をはるかに越えて、神が出来事化して下さる人生の中を歩むことが出来る。「キリストの真実が私の内にある、だから」と生きることが出来るのです。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 16:43| 主日説教要約