2019年02月18日

説教 『天におられる主人』

2019年2月17日の礼拝
相模原教会協力牧師 西田恵一郎
コロサイの信徒への手紙4章1〜6節
主人たち、奴隷を正しく、公平に扱いなさい。知ってのとおり、あなたがたにも主人が天におられるのです。目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。同時にわたしたちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。このために、わたしは牢につながれています。わたしがしかるべく語って、この計画を明らかにできるように祈ってください。時をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい。いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。

 本書簡を通じてパウロは「すべて」「どんなこと」を頻繁に用いています。また、キリストが主人であるという表現も頻出します。後半のこの部分では、夫・妻・子・奴隷・主人に対する勧めがなされていますが、要はすべての人の主人はキリストであると宣言しているのです。これを忘れると、例外なく自分自身が主人になってしまいます。謙遜を身に着けることは何と難しいことか…。傲慢になる人間の傾向―性―をパウロはよく知っていました。彼にこの傾向を思いとどまらせたのは「罪人の頭」(Tテモテ1:16)という自己認識でした。神の恵みにより、イエスを通して赦された経験がないと決して言えない言葉です。そして、その告白を真実に保つには継続的で現在進行的な祈りが不可欠なのです。それ故に、パウロは「祈りなさい」(4:2)と勧めています。「造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達する」(3:10)には、祈りの生活の確立が必要なのです。祈りの生活の3つの要素は、@聖書を読む;A個人の祈り;B執り成しの祈りです。御言葉と共に居る時、私たちは立つべき確かな根拠と、なすべき歩みへのはっきりした方向づけが与えられます。祈る時、罪から守られ、霊的に成長し、労働のための誠実さと力が与えられます。そして、執り成しは務めであり、執り成す時間こそが、新しい喜びの源泉なのです。パウロは「祈ってください」(4:3)とも求めています。自分を下に据えていると言えます。祈り、祈られる関係に上下関係はありません。そして、共通の祈りの課題は福音宣教です。御言葉のために門が開かれるように祈るのです。この時、開かれたのはパウロの解放という門ではなく、幽閉の中で福音を記すという門でした。人の思いと神の思いは違うのです。あくまでも神こそが主人なのです。すべての者の主人である神にひたすら仕えましょう。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 16:57| 主日説教要約