2019年01月27日

説教 『キリスト婚約させた』

2019年1月27日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
コリントの信徒への手紙二 11章1〜6節
わたしの少しばかりの愚かさを我慢してくれたらよいが。いや、あなたがたは我慢してくれています。あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。なぜなら、あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです。あの大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けは取らないと思う。たとえ、話し振りは素人でも、知識はそうではない。そして、わたしたちはあらゆる点あらゆる面で、このことをあなたがたに示してきました。


 パウロは、コリントの教会のキリスト者に言うのです、「あなたがたはキリストと婚約したのだ。それがキリスト者だ」と。それで私は、神の御子との婚約で、どういう約束を交わし合ったのかと、ふと思ったのです。そこから説教準備で「キリストと結ばれるために、私の側がお渡しできたものが何かあったかな」と思い巡らし始めたのです。

 神の御子が婚約して下さった日、私どもが御子に差し出せたものは何だったのか。確かに私が持っていた、少しの善意があったかも知れない。悔い改める心もあったでしょう。でもそんなものは、天地創造の神の御子に結納品として交換し合うには余りにも貧し過ぎる小ささ。その逆に私が、山ほど持っていたものがある。それが、罪なんです。的外れに生きて来て、そこで罪を重ねて、隣人を傷つけて来た。それでも平気で、「この世で生きるには仕方がない。むしろ弱肉強食は必要悪だ」と、恥とも思わず、償いもせずに通り過ぎて来た。その姿は、イエス様の目から見たら不釣り合いな者でしかないのです。

 でも、そういう私どもが、御子の前に正座して、恥ずかしい自分の罪と過ちをお見せした時に。そこで、だったのです、キリストはそこで私どもの罪を見て、驚くべきことに「それで良い、お前の罪をもらおう」と全部引き取って下さったのではないですか。だから、イエス様が私の犯した罪の償いをされなければならなくなって、死んで償われたのではないですか。それが十字架の出来事だったのです。私どもとキリストとの婚約を形にした出来事、それが十字架だった。お返しにイエス様から、婚約のためにと私どもの差し出して下さったのは、神の御子が持っておられた、神の義だったのではないですか。そんな交換、神にとっては大損でしかない。でも神様は、その婚約こそが、「愛するあなたを見つけた、私のパートナーを見つけたよ」と言って下さる喜びであったのです。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 15:55| 主日説教要約