2019年01月06日

年間主題聖句説教 『岩と頼むのはわたしたちの神のみ』

2019年1月6日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
サムエル記上1章21節〜2章3節
 さて、夫エルカナが家族と共に年ごとのいけにえと自分の満願の献げ物を主にささげるために上って行こうとしたとき、ハンナは行こうとせず、夫に言った。「この子が乳離れしてから、一緒に主の御顔を仰ぎに行きます。そこにこの子をいつまでもとどまらせましょう。」
 夫エルカナは妻に言った。「あなたがよいと思うようにしなさい。この子が乳離れするまで待つがよい。主がそのことを成就してくださるように。」
 ハンナはとどまって子に乳を与え、乳離れするまで育てた。乳離れした後、ハンナは三歳の雄牛一頭、麦粉を一エファ、ぶどう酒の革袋を一つ携え、その子を連れてシロの主の家に上って行った。この子は幼子にすぎなかったが、人々は雄牛を屠り、その子をエリのもとに連れて行った。ハンナは言った。「祭司様、あなたは生きておられます。わたしは、ここであなたのそばに立って主に祈っていたあの女です。わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。わたしは、この子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です。」彼らはそこで主を礼拝した。
 ハンナは祈って言った。
「主にあってわたしの心は喜び
主にあってわたしは角を高く上げる。
わたしは敵に対して口を大きく開き
御救いを喜び祝う。
聖なる方は主のみ。あなたと並ぶ者はだれもいない。
岩と頼むのはわたしたちの神のみ。
驕り高ぶるな、高ぶって語るな。思い上がった言葉を口にしてはならない。
主は何事も知っておられる神
人の行いが正されずに済むであろうか。


 ハンナは子どもが生まれなくて、ずっと泣き続けた女です。そういうハンナに、夫エルカナは優しく接しはします。「このわたしは、あなたにとって10人もの息子にまさるではないか」と。でもその優しく聞こえるはずの言葉も、ハンナにとっては「どうして私の悲しみの傍に座って一緒に悲しんでくれないの。結局私は誰にも分かってもらえない」と思わせる一言でしかありませんでした。

 しかしそうやって、彼女にとって頼れる場所がどこにも無くなる中で、だったのです。ハンナは、たった一つ残されている場所に気付いたのです。それは神の御前でした。そこで、思いの全てを打ち明け出したのです。自分の中で、自分だけで考えて、一人で思い煩うことを手放したのです。そういう彼女の祈りは、「主よ、私は苦しい。私は悲しい。私は孤独です」と繰り返し訴えたに違いないんです。ただただ安心して、心からの言葉を注ぎ出したのです。その中のから、この祈りの言葉が生まれたのです。2章2節「岩と頼むのはわたしたちの神のみ」と。

 皆さんもいつかは老いて、色あせて、あらゆることを忘れていく日が来る。それでも、なんです。神様が、私を忘れられることは無い。神が、私どもの岩となっていて下さることを忘れること、止めてしまわれることは決してないのです。あなたに、絶え間なく固い岩として関り続けて下さるのです。ハンナはその神様へと、祈りの中で目を向けさせていただいて、だから気付けてゆけたことがあったのです。それは、自分の涙の人生の中にも、既に神様が関わり続けていて下さったという事をです。それを感得させていただいた時に、彼女は、「この後の人生も、神様は最善のことをして下さる以外にない」と、信じることが出来たのです。

 2019年も、変わらず主が、あなたを足元の大岩となって下さいます。それを信じて、歩み抜こうではありませんか。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 16:15| 主日説教要約