2018年03月19日

説教 『御言葉を宣べ伝えなさい』

2018年3月18日の礼拝
相模原教会協力牧師 西田恵一郎
テモテへの手紙二 4章1〜8節
神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。


 全存在をかけて勧めを行ってきたパウロはいよいよ最後の勧めへと進みます。その前に誰をあるいは何を意識して―誰あるいは何のため―に生きて(働いて)きたかを明確にします。「神とイエス・キリストの御前(存在の中)」(一節)で彼は生き、また働いて来たのです。彼が好んだ「キリストにおいてIn Christ」の表現は「主は共に居て守ってくださる」を意味すると同時に「主に見られていて、何一つ隠すことはできない」を意味していないでしょうか。主は「生きている者と死んだ者を裁く」(一節)方です。隠れた所で行った善い業も人の目に触れずに済んでいた不誠実な業も復活のキリストはすべてご存知で、主はその忠実さ不忠実さを公平に裁いてくださるのです。パウロの中では、教会をいくつ建てたとか、が救われた人の数などは全く問題ではありませんでした。ただ決められた道を走り通した、主に託されたことをやり遂げた。後はただ永遠の命の象徴である「義の冠」を「受けるばかり」(八節)―ドックに入る、落ち着く―だけなのです。主との完全な交わりを意味する「永遠の命」、パウロが求めた報いはそれだけではなかったのでしょうか。その報いを受けるばかりのパウロの最後の勧めは何だったか。「御言葉を宣べ伝えなさい」でした。受け入れられても受け入れられなくても、聞かれても聞かれなくても御言葉を伝えるのです。御言葉の中には歓迎され易い励ましや慰めの言葉もあれば、耳障りのよくない叱責や戒めの言葉もあります。どちらも御言葉ですから、どちらも語るのです。そうしてきたパウロは、それ故に迫害や苦難を受けました。しかし、それが「福音宣教者の仕事、自分の務め」(五節)なのです。愚直と言われようと要領が悪いと言われようと、誰にも評価されなくとも、「しかしあなたは」(一〇節)、「だがあなたは」(一四節)なのです。御言葉を宣べ伝え、御言葉に生きようとする者と神は共にいて、力づけてくださる。そして主を待ち望む者には、だれにでも義の冠を授けてくださる。そういう者、教会でありたいと願うものです。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 09:20| 主日説教要約