2020年03月01日

受難節第1主日説教 『神の子なら』

2020年3月1日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
ルカによる福音書4章1〜13節
4:1 さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、
4:2 四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。
4:3 そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」
4:4 イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。
4:5 更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。
4:6 そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。
4:7 だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」
4:8 イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」
4:9 そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。
4:10 というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』
4:11 また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」
4:12 イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。
4:13 悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。

 「神の子なら…何でも出来るでしょ」と悪魔はイエス様に言います。その遣り取りを見ながら、「それらは、私が神様に期待することそのものだ」と思ったのです。期待と求めが一番先に立って、独り歩きし始めてしまう。その結果イエス様を、自分が思い描く期待の中に引きずり込んでしまうんです。その問いに主がなさった応答は、どれもがもっともな応答ではありました。でも、「神の子なら、苦しみから助けて下さるはずでしょ」と願った人にとっては、イエス様から「私は、そんなことはしない」と言われた事になります。

 イエス様が十字架に掛けられる日も、同じことが起こります。群衆が言う、「神の子なら…十字架から降りて来い」と。それなのにイエス様は、罪人の頭領であるかのように十字架刑を受けられたんです。何故! なぜイエス様は、ユダヤの民を解放せずに、弱い者のように死んでゆかれたのですか。その唯一の理由が、人間が考え出した期待に添うような神ではなく、それを拒否して、父なる神の御心を歩まれたからです。あなたを、罪と過ちの重荷から救い出したい、それが御父の思い。その思いに、従われたからです。それはイエス様が、本当に神の子だったからではないですか。

 イエス様は、私どもの、自前で作り出した期待が詰まった求めを聞いて、答えられるのです、「あなたの辛さも全部知っているよ」と。でもそこからなお続けて「あなたのために私がしてあげられる最も良いことは、奇跡を起こすことじゃない。あなたの求めをそのまま叶えることじゃない。あなたにとって最も良いことをしてあげる。御父と和解させてあげる。神から、愛される子とされるようにしてあげる。そのために、私があなたの罪を背負って死ぬ」と。そして「それは神の子だけが出来ること。正に、私は、神の子であるだから」と。

 その十字架の下で、私どもは自分の期待する解決の仕方を手放して、「神の子、主よ、あなたの御心のままに。私はお委ねします」と歩み出させていただけるのです。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 15:39| 主日説教要約

2020年3月1日の礼拝

この日は受難節第1主日です。
礼拝説教「神の子なら」、ルカによる福音書4章1〜13節。辻川篤牧師。12、2編177、142。交読詩編91編1〜13節。
◇第一主日ですので、礼拝の中で聖餐式が執行されます。
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