2020年02月09日

説教 『完全な者になりなさい』

2020年2月9日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
コリントの信徒への手紙二 13章11〜13節
13:11 終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。
13:12 聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。すべての聖なる者があなたがたによろしくとのことです。
13:13 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。


 パウロは手紙の最後で、中心を6つの言葉で表わしました。「喜びなさい」「完全な者になりなさい」「励まし合いなさい」「思いを一つにしなさい」「平和を保ちなさい」「聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい」であります。どれもが具体的なことでした。でもそう思った次に、「一つだけ違うぞ」と思った言葉があったのです。「完全な者って何だろう」と。調べましたら、「繕う」という意味があったのです。「完璧な人間になれ」と言うんじゃないんです。その逆に「自分の弱さを見詰めて良い。そこが神の働かれる場所だから。あなたが主導権を握れない弱さの場所、あなたが惨敗して撤退した空白の場所にこそ、神の繕われる御手が働く、そのことにお任せしなさい」と言われていたのです。

 キリストの使徒パウロとなる以前は、ユダヤ人当局のエリートでした。当然のように、権力者が妬んだイエス様を十字架に掛けることに加担したのです。その彼に、ダマスコ途上で甦らされた御復活の主が出会ってくださって、そこで大どんでん返しをさせられたのではないですか。パウロは「自分が御子なる神を十字架に架けて殺した」と気付かされる。でもそのイエス様が復活されて、神の敵であった自分に、なぜか親しく語り掛けて下さっている、その出来事の中で畏れつつも、全てを思い巡らし始めたのです。イエス様は、完璧な人と共におられたのではない、むしろ罪人の側に思いを寄せ、弱った者、悲しんでいる者に心を寄せ、最後にはご自分の命まで差し出された。それも、罪人と烙印を押された、この世の敗者のために、命を捨てられたのです。救うために、です。パウロはそれが分かった時、回心が起こったのです。「完全な者にされる」とは、自分の罪の破れがイエス様によって「繕われる」ということ。ボロ網だった自分が、神によって繕っていただけることだ、と。私どもも皆、イエス様のお命によって、「繕われた者」なのです。
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2020年2月9日の礼拝

礼拝説教「完全な者になりなさい」、コリントの信徒への手紙二 13章11〜13節。辻川篤牧師。9、246、495。交読詩編125編1〜5節。
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