2019年10月13日

説教 『共に生きています』

2019年10月13日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
コリントの信徒への手紙二13章1〜4節
わたしがあなたがたのところに行くのは、これで三度目です。すべてのことは、二人ないし三人の証人の口によって確定されるべきです。以前罪を犯した人と、他のすべての人々に、そちらでの二度目の滞在中に前もって言っておいたように、離れている今もあらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったら、容赦しません。なぜなら、あなたがたはキリストがわたしによって語っておられる証拠を求めているからです。キリストはあなたがたに対しては弱い方でなく、あなたがたの間で強い方です。キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています。

 イエス様は確かに弱くなられました。御父の計画に委ねる歩みは、弱さを通るからです。しかしそこに歩まれた故に勝利した。そのキリストをパウロは高く掲げて、4節、「キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられる」と指し示したのです。そして「わたしたちもキリストに結ばれたものとして弱い者です」と。そう語るパウロには、「昔の私はこうじゃなかったけどね」という思いが暗黙裡にあったと思います。彼は自分の力で生きるとしたら、この世で最も成功が約束された人物でした。でも、復活されたイエス様、つまり真の大勝利のイエス様に出会った日に、パウロはイエス様と共に歩むほうに変えていただいたのです。180度の方向転換、回心でありました。そういう自分の回心を思いながら、彼はコリントの人々もキリストと共に歩む生き方へと、変わって欲しかったのだと思うのです。

 皆さん、キリストの結ばれて歩むということは、真剣勝負です。御言葉に従うという生き方は、単なる心の中にある努力目標などではないんです。それは、生き方を変える冒険に出る、ということなんです。今までの自分の「こういう計画でやれば安心、こうやって行けば想定内に収まる」と生きる生き方を放棄して、御言葉ならばと、神の言葉を自分の羅針盤に付け替えて踏み出す、その冒険をすることなんです。それは今までの自分自身への挑戦となるしょう。キリストと共に生きる者とは、そういう挑戦を、自分自身に挑み続ける者達のことなんです。

 その人生は必ず、主イエスが共にいて下さる日々になります。そしてそこが、神の力が豊かに働く場所となるのです。パウロは、「もしも今度コリントに訪問した時に、昔のままの自己中心なあなた方だったら、もう容赦しないから。今度は力づくでも変わってもらうから、変わって欲しいから。愛する兄弟姉妹なのだから」と告げたのです。
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2019年10月13日の礼拝

この日は神学校日を覚えて礼拝がささげられます。礼拝説教「共に生きています」、コリントの信徒への手紙二 13章1〜4節、辻川篤牧師。讃美歌25、2編161、495。交読詩編73編21〜28節。
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