2019年07月28日

説教 『心に命が与えられますように』

2019年7月28日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
詩編69編31〜34節
神の御名を賛美してわたしは歌い
御名を告白して、神をあがめます。
それは雄牛のいけにえよりも
角をもち、ひづめの割れた牛よりもなお
主に喜ばれることでしょう。
貧しい人よ、これを見て喜び祝え。神を求める人々には
健やかな命が与えられますように。
主は乏しい人々に耳を傾けてくださいます。
主の民の捕われ人らを
決しておろそかにはされないでしょう。

 69編は、およそ8割が「嘆きの言葉」で埋められています。それなのに31節から突然、まるで別人になったように神を賛美し始めるのです。今朝の直前までと、今日の一行目との間には、ヒョイと超えることなど叶わない深い淵が、口を開けているのです。どこから彼の中に、この「感謝」が生まれたのでしょうか。そのことを思いながら、69編を繰り返し読んでみました。その時にです、彼が嘆きを繰り返す中で、神の名を呼んでいる呼び掛けに、ふとその言葉に、目が留まったのです。11節「恵みと慈しみの主よ」と呼び掛けているのです。さらに14節にも、「神よ、豊かな慈しみのゆえに」と。彼は延々と悩みを訴えました。でも、そうやって苦しみを数えてうずくまる中で、「主よ、あなたは〈慈しみ〉という方ではないですか」と叫んでいたのです。ハッとしました。

 この「神の慈しみ」は、単なる優しさじゃありません。「あなたを愛したい、支えたい、守りたい」と、人間の現実に介入する力なのです。それを知る詩人も、現実の苦難を見つつも、その中に介入して来られる「慈しみの主」に気付かされて行く。その中で、彼の心は次第に動かされて行く。自分に縛られることから、神の慈しみに包まれるほうへと、目を据え直されて行ったに違いないのです。その時に、でした。彼は、ついに深い淵を渡ったのです。苦難を嘆くだけの自分から、慈しみ深い主を賛美する信仰者へと、自分の力だけでは越えられない裂け目を、越えさせて頂いたのです。

 神様は、私どもの心を変えて下さいます。それも最も頑なになる苦難の嘆きに捕らわれる私の心を、賛美が生まれる心へ変えていただける。それが、実は「心に命を与えてくださる」ことなのです。関根訳では、「主を求める者よ。君たちの心は生きる」ということなのです。私どもの全ての歩みに、慈しみの主がおられる。そのことに向き直るなら、どんな現実の中にあっても、「心に命が与えられる」のです。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 16:07| 主日説教要約

2019年7月28日の礼拝

礼拝説教「心に命が与えられますように」、詩編69編31〜34節、辻川篤牧師。讃美歌15、332、399。交読詩編38編10〜23節。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 00:00| お知らせ