2019年06月17日

説教 『福音は人によるものではない』

2019年6月16日の礼拝
相模原教会協力牧師 西田恵一郎
ガラテヤの信徒への手紙1章11〜24節
兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません。その後、わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、わたしのことで神をほめたたえておりました。

  パウロは「はっきり言います」(11節)、彼が「告げ知らせた福音は、人によるものでは」(11節)ないと。それは神からのものだと言うのです。「人から受けたのでも教えられたのでもな」(11節)いとも言います。確かに、彼の福音は人からのものではなく、ダマスコ途上でキリストと出会い、直接キリストから受けたものでした。「啓示」(12節)―隠されていた事柄が明らかにされる―により、福音―イエスの十字架と復活―の意味が明らかにされたのです。聞き及んでいたイエスを知識ではなく、キリスト(救い主)として知り、神をキリストの父として知ることになったのです。「啓示」の信憑性の度合いは、証言ではなく、当事者の生き方における変化の度合いによって測られます。パウロへの啓示が真実であったことの証明が13〜24節に記されています。使徒言行録の9章においても彼の一大転換が読み取れます。啓示とは、いわゆる主観的神秘体験ではなく、イエスを力ある方、自身の存在をひっくり返すほど力ある方として知ることです。パウロが受けたような劇的な啓示ではなかったかもしれませんが、私たちもイエスが力ある方であることを知っています。イエスの力が働いたからこそ、今、イエスを救い主として信じているのです。あなたとイエスの間に誰か人を介したかもしれません。しかし、源はイエスなのです。2000年前、あのユダヤで神の業を行ったのと同じイエスが今も私たちと共におられ、力ある業を行ってくださるのです。いつしか、イエスを体(てい)の善い道徳家や優しく穏やかな教師に仕立てているのは私たちなのかもしれません。力あるイエスと出会ったパウロには、回心が起こり、宣教が続き、彼のことで人々が「神をほめたたえる」(24節)という結果が伴いました。私たちも同じ歩みを辿るのです。同じ力ある主イエスと出会ったのですから。一層深く主を知る者とさせて頂きましょう。
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