2019年03月10日

説教 『そそのかし』

2019年3月10日の受難節第1主日礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
創世記3章1〜7節
主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。

 エバは禁断の実を見て、「触れるだけで死ぬなんて聞いたことない。神様は私を不自由にする」と思ったに違いないんです。その心を見抜いた誘惑者が、エバの背中をポンと押した、4節「決して死ぬことはない」と。そしてついに牙をむいたのです5節、「それを食べると、神のようになる」と。ここを文語訳聖書は、強烈な訳をしていました「汝ら神の如くなる」。これが誘惑の本体なんです。それを聞いたエバが、6節「その木はいかにもおいしそうで、…賢くなるように唆していた。女は実を取って食べた」のです。この「唆した」という言葉は「好ましい、欲しい」という意味があります。つまりエバにとって「好ましかった」のです。エバが「欲しがった」のです。つまり神様との約束を捨てさせたのは、彼女の決断だった。その結果エバは、「神が守る」という完全な安心の生活の外に、立たされてしまったのです。

 「自業自得」って言葉がありますよね。もしもこの世界がそうであるなら、失敗したら終わりだという世界になってしまうのではないですか。フッと気付いたことがありました。そもそも神様は、男と女を創造された時、「極めて良かった」と言われたのです。だからこそ、です。その関係を破って離れてしまうエバとアダムを、神様はどんなに悲しく思われたことかと思えてなりません。その神様だからです。神様は2人を諦め切れずに、なお過ちの子たちを愛し続けられるのです。そして、人との関係を回復することを、現実のこととするために決断をされたのです。「神を捨てた償いを徹底的にさせる」と。しかしそれには驚くべき計画が伴っていたのです。それは「しかしそれは、神である我が独り子に担わせる。十字架刑によって御子イエスが死ぬのだ」と。十字架へと向き変わるなら、そこで「自分の罪の深さ」と「神の愛の深さ」が交わっているのが見える。そこで「自分の言葉を神とせず、主の言葉に生きよう」と歩み始められるのです。
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2019年3月10日の礼拝

この日は受難節第1主日です。パラメントも悔い改めを表わす紫色に変わり、主イエスの受難を憶える日々が始まります。礼拝説教「そそのかし」、創世記3章1〜7節、辻川篤牧師。讃美歌15、2編177、145。交読詩編66編1〜20節。
また、午後1時から、組会主催の「午後の礼拝」が行われます。礼拝の中で聖餐式が執行されます。
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