2018年11月19日

説教 『上にあるものを求めなさい』

2018年11月18日の礼拝
相模原教会協力牧師 西田恵一郎
コロサイの信徒への手紙3章1〜11節
さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。これらのことのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下ります。あなたがたも、以前このようなことの中にいたときには、それに従って歩んでいました。今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。


  キリスト者となり、大きく変わったことの一つに人生観の変化、それに伴う価値観や生きる目的の変化があると思います。私たちの生活が地上のものではなく、上にあるものを求めるものになったということです。ウエストミンスター小教理問答の言葉を借りるなら、「人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです」ということでしょう。これはなかなか難しい。コロサイの教会の人々も地上のものに心が引かれていたのです。「上」とはキリストが王として居られる領域ですから、パウロは私たちに支配者(王)であるキリストに目を向けるよう勧めているのです。彼の思想の中心である聖霊は昇天したキリストとほとんど同一視されているので、イエスを「求め、心を留める」とは聖霊を「求め、心を留める」ことです。聖霊は力であり助け主ですから、私たちが生きるのに必要な力や助けは聖霊に求め、聖霊から頂かなければなりません。私たちは、キリストと共に古い自分に死に、新しい自分に復活させられましたが、現在、新しい自分はキリストと共に神の内に隠されています。隠されてはいます―感覚では捉え切れない―が、新しい自分は確かにキリストと共に生きているのです。そして、キリストが現れる時、新しい自分は全き自分とされます。その時まで、「造り主の姿に倣う新しい人を身につけ、日々新たにされて、真の知識に達する」(10節)よう努め励むのです。「真の知識に達する」とは神について知る知識が増すにつれて、鏡に映し出されるように、その知識が自分の人格と生き方に反映されることです。それを求めながら、日々、礼拝・御言葉・祈り・交わりに専念することが私たちに求められているのです。地上のものへ目を向けさせる誘惑は強く、また巧妙です。しかし、神を知れば知るほど、地上のものは色あせてくるのです。キリストに目を向け続けましょう。
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2018年11月18日

2018年11月18日の礼拝

礼拝説教「上にあるものを求めなさい」、コロサイの信徒への手紙3章1〜11節。西田恵一郎牧師(和泉短期大学チャプレン)。22、361、358。交読詩編77編2〜21節。
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2018年11月11日

説教 『やり方をほめた』

2018年11月11日 子どもと一緒の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
ルカによる福音書16章1〜13節
イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」


 子どもたちと一緒の礼拝です。ですから大人の皆さん、今朝は心の時計を4〜5歳まで巻き戻して下さいね。
イエス様がたとえ話で、ある男の人の話をしました、「ボクはこうと決めたら、絶対にやり方を変えない、人目も気にしない」という人です。彼は、お金が大好きな男の人でした。そのためには、人から見下されようとも、ひどい男だと怒られようとも、自分のやり方を変えないんです。そういう「一度決めたことを変えない」というやり方、イエス様が褒めて下さったのです。

 私たちは教会で今、「イエス様のことが大好き。神様大好き」と言っているし、お祈りもしますよね。そういう思いが心の中にちゃんとある。でも学校に行ったときにです。そこで友達の目を気にしてしまったり、「イエス様って誰のことだよ、神様って本当にいるの?」とか言われたりしたら、それでも「イエス様のことが大好き」って生きることを、そのやり方を変えないでいられるだろうか。ひょっとしたら、友達になんて思われうるのかが気になって、学校ではイエス様の話を全然しなくなることはないだろうか。それどころか、お昼ご飯の時にお祈りしようかどうか迷い始めて、ついには出来なかったというようなことはないだろうか。つまり、「イエス様が大好き、神様を信じるんだ」というやり方が、教会と学校とで変わってしまっていたりしないだろうか。

 そういう姿は二股生活って言うのです。片足だけが「イエス様が好き」のほうに立っていて、もう片方は「イエス様なんて関係ない」というほうに立っているんです。イエス様は、人目も気にせずにやり方を変えなかった男の話をして、「あなたもどこに行っても、二股ではなくて、やり方を変えない生活をして欲しい。学校でもお家でも『神様が好き』って生きて欲しい」と言われたのです。
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