2018年10月14日

説教 『一緒に抜かないように』

2018年10月14日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
マタイによる福音書13章24〜30、36〜43節
イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」
それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

 この世界が「畑」で、その畑に御子イエス様が「種」を蒔かれます。私どもはその「良い種」です。イエス様にそう言っていただいた通りに、私どもはこの世界を生きるようにと期待されているんです。しかしその世界に「毒麦」つまり「つまずきとなるもの、不法を行う者がやって来る」とイエス様はおっしゃいました。私たちが良い実を実らせようとしても、それを挫かせ滅ぼそうとする悪の力があるということです。

 私が最初このたとえ話で戸惑ったのは、たとえ話の主人が「毒麦を抜くのを止めなさい」と言われたことです。悪なのですから、早速抜いてしまうべきなのではないですか。それなのに、なのです。

 主はご自分に従って来ている群衆を見詰めながら、このたとえ話をなさいました。それは、彼らは元々良い麦だけれど、でも毒麦に取り囲まれたら途端に、弱ってゆく麦そのものだと知っておられるということです。つまり、「あなたがたは自分のことを強い根を持った良い麦だと思っているだろう。確かに良い種から芽を出した、天の父から見たら愛らしい芽だ。でも私はお前たちを知っている。この先お前たちは、お前を取り囲み絡め取り、巻き付いて来る悪によって、次第に弱って行くことになる」と。

 そのイエス様がおっしゃったのです「毒麦を抜こうとしたら、私の大切な良い麦まで抜かれてしまう。もうすっかり絡まれているから、枯れて力もなくなっているから、だからちょっとでも触ったら信仰が終わってしまいかねない、だから今は触れるな。毒麦は後回しで良いから」と。それは、「萎れて枯れたようになっている1本さえも、私には大事だから。私には、貴い1人なのだから」ということであったのだと思います。あなたは、主イエスがご覧になったら、萎れても枯れても、愛おしい御自分の良い麦なのですから。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 14:00| 主日説教要約

2018年10月14日の礼拝

礼拝説教「一緒に抜かないように」、マタイによる福音書13章24節〜30、36−43節。辻川篤牧師、讃美歌14、249、2編167。交読詩編26編1〜12節。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 00:00| お知らせ