2018年10月02日

説教 『初めに言があった』

2018年9月30日の礼拝
相模原教会協力牧師 秋葉恭子
ヨハネによる福音書1章1〜5節
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。


 ヨハネは、主イエス・キリストを「言」(ロゴス)として、そして天地創造の時から神と共におられた、「初めに言があった」と紹介しました。ロゴスが本来持っている意味は「世界を構成している基本原理」です。そして、今日のテキストから、キリストを通して出来事を引き起こすダイナミックな神のみわざという具体的な意味が浮かび上がってきます。また、言葉本来の役割はコミュニケーションです。関係が壊れると口もきかない、回復すると言葉を交わすようになります。ロゴスである主イエス・キリストの出来事は、まさに、神様に背いた人間にとって、神様との関係を回復してくださる執り成しのため、赦しのための出来事でした。それは、人の魂あるいは霊をアガペーの愛をもって豊かに育む神様との関係の中に導くみわざです。

 「光は暗闇の中で輝いている」、まさに、ヨハネの時代も、2000年後の現代も、キリストの十字架は、暗闇を照らす光として輝いている、そのことをヨハネは力強く宣言しています。暗闇は欲望が支配する世界です。人間の欲望という塔は今も営々と築かれ続けその塔が落とす影、暗闇はますます広がり、その暗さを増していると、ヨハネは嘆いています。しかし、ヨハネは絶望してはいません。神様はあなたたちを暗闇から救い出そうとロゴスをこの世に送りました。今も、また暗闇のとき、しかし、絶望することはないのです。神様の愛の言が、救いの言が主イエス・キリストとして、暗闇の中で輝く光として現れてくださったからです。
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