2018年08月19日

説教 『打ち砕かれた心を包むために』

2018年8月19日の礼拝

相模原教会牧師 辻川篤
イザヤ書61章1〜3節
主はわたしに油を注ぎ
主なる神の霊がわたしをとらえた。
わたしを遣わして
貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。
打ち砕かれた心を包み
捕らわれ人には自由を
つながれている人には解放を告知させるために。
主が恵みをお与えになる年
わたしたちの神が報復される日を告知して
嘆いている人々を慰め
シオンのゆえに嘆いている人々に
灰に代えて冠をかぶらせ
嘆きに代えて喜びの香油を
暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。
彼らは主が輝きを現すために植えられた
正義の樫の木と呼ばれる。

 捕囚からエルサレムに帰還して来たのに、瓦礫の山となった都を見た人々の希望は、粉々に砕けたのです。そういう人々に向かってイザヤが、神様から「告げ知らせよ」と遣わされて、語り始めたのです。それは、1節「打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には開放を告知させるために」でありました。

 それはまるで大きな風呂敷で、心の破片を優しく全部、拾い上げて包むようにです。それも、砕けてしまったあなたの心の良い所だけを拾うんじゃない。「憤りも、憎しみも、嫉妬や妬みも、そういう欠片を全部まとめて包み込む。罪を犯した心の部分を、それもあなたの欠片だから」と告げられたのです。それが、具体的に告げられてゆくのが、「灰に代えて、冠をかぶらせ(悔いて悲しむ心に、喜びの王冠を被せてあげるということ)」であり。「嘆きに代えて、喜びの香油を(喜びの香油とは祝いの印です。それをあなたの嘆きと交換してあげようと言われる)」、「暗い心に代えて、賛美の衣をまとわせる」であったのです。このイザヤの告知を聞いていた人々は、現実を前にして幻滅の中にいました。しかしその悔いも悲しみも、戸惑いも失望さえも、そして罪の心さえも全部包み込んで、「あなた自身を救う」と告げられたのです。

 殆どの聖書学者は、ここでルカによる福音書4章を開いていました。そこでちょうどイエス様が、このイザヤ書61章を引用して話をしておられたからです。「この聖書の言葉は今日、あなたがたが聞いたとき実現した」と。イエス様はおっしゃったのです「私が来た。だからこのイザヤの言葉は、私によって今あなたに実現しているのだ」と。つまり、イエス様は「この私があなたの打ち砕かれた心を包んであげる。私があなたを丸ごと包む風呂敷になってあげる。苦しみの欠片も、罪の欠片も全部包んで、私があなたの暗い心に賛美の衣をまとわせてあげるから」とおっしゃったということです。私どもを包むのは、イエス様ご自身です。

 私どもが自分の罪のゆえに纏まらない心を、イエス様は纏めて下さるために十字架に掛かられたのです。灰をかぶって悔い改めるべきなのは私どもだったのに。そのイエス様だからこそ、「あなたに、灰に代えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて喜びの香油を、暗い心に代えて賛美の衣をまとわせてあげるから」とおっしゃったことは真実であると分かるのです。だから私どもは、私どもの打ち砕かれた心を、この十字架の下に持って来れば良い。十字架の下に立つなら、私どもの耳にも聞こえて来る言葉があるからです、「あなたの打ち砕かれた心を、私が包むから。もう大丈夫だから」と。
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2018年8月19日の礼拝

礼拝説教「打ち砕かれた心を包むために」、イザヤ書61章1〜3節、辻川篤牧師。讃美歌29、492、380。交読詩編40編2〜12節。
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