2018年07月22日

説教 『御名を唱えて、立ち上がる』

2018年7月22日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
詩編20編1〜10節
指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
苦難の日に主があなたに答え
ヤコブの神の御名があなたを高く上げ
聖所から助けを遣わし
シオンからあなたを支えてくださるように。
あなたの供え物をことごとく心に留め
あなたのささげるいけにえを快く受け入れ
あなたの心の願いをかなえ
あなたの計らいを実現させてくださるように。
我らがあなたの勝利に喜びの声をあげ
我らの神の御名によって
旗を掲げることができるように。
主が、あなたの求めるところを
すべて実現させてくださるように。
今、わたしは知った
主は油注がれた方に勝利を授け
聖なる天から彼に答えて
右の御手による救いの力を示されることを。
戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが
我らは、我らの神、主の御名を唱える。
彼らは力を失って倒れるが
我らは力に満ちて立ち上がる。
主よ、王に勝利を与え
呼び求める我らに答えてください。


 この詩の前半には「どうか苦難の日に、支えてください」と必死に祈ります。それなのに後半になって急に「今、分かってしまった。勝利を授けられると」と安心し切っているのです。まるでそこをヒョイと飛び越えて、安心な場所に着地している。何故そんなことができるのだろうか。それはこの詩人が、8節、「戦車を誇る者あり、馬を誇る者もあるが、我らは、我らの神、主の御名を唱える」からでした。

 戦車を誇る者というのは、自分の武力とか策略とか、つまり人間の力で何とかしよう、支配できると考える世界です。でも詩人は、それと対比するように、もう一つ別の世界を語りました。それが「主の御名を唱える」という世界です。この「唱える」とは、「思い起こす」という意味の言葉です。「神様ご自身の現実が働いている世界」を、思い起こすのです。そのようにした時にでした。詩人は、人間の力に支えられる世界から、神の現実が働く世界へと飛び越えられたのです。

 人によっては、自分の人生を振り返って「あの時は不満だった、あの日は不運だった」と、不満ばかりを数えるでしょう。でも神様を知るということは、そういう数え方から解放されて、「どの時も神様は最善をして下さった、その御業を数えることが出来る」ということです。そしてそれこそが、恵みそのものだと思うのです、なぜなら、世界は神の働きに満ちていると思い起こせたら、未来も、神様が必ず働いて下さる現実の中にいるのだと信じることができるからです。たとえ今苦難の中にあっても、未来を神が恵みをもって支えていて下さると確信することが出来るんです。

 力強く胸を打つ詩編です。では、この歌を知っていた民は、このあと敵に恐れることなく進めたのかというとそんなことはありませんでした。朝は明るくて元気でいるけれど、歩き出したところで小さな苦難にぶつかるともう心配顔で歩いてしまう。その姿は、私にそっくり。でも、そんな人間だからこそです。そんな私どもを、誰よりも心配して下さるお方がおられるって知っているということが一番大事なんです。弱い私を見放さないで、なお関り続けて下さる方がいて下さる。そのお方が神なのです。私どもが神を忘れそうになっても、私どもを「神の現実が働かれる世界」に捕らえて、据え続けて下さるのは神様なのです。

 苦難に襲われることだってあるでしょう。でもその度に礼拝に帰って来て下さい。神が過ぐる1週間も、現実に働き続けて下さったことを思い起こすために。そこで、やって来る1週間も、神が働かれる世界に生きることを心に刻み直させていただくためにです。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 19:11| 主日説教要約

7月22日の礼拝

礼拝説教「御名を唱えて、立ち上がる」、詩編20編1〜10節、辻川篤牧師。讃美歌24、286、354。交読詩編13編2〜6節。
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