2018年07月22日

7月22日の礼拝

礼拝説教「御名を唱えて、立ち上がる」、詩編20編1〜10節、辻川篤牧師。讃美歌24、286、354。交読詩編13編2〜6節。
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2018年07月16日

説教 『主によって、キリストによって』

2018年7月15日の礼拝
相模原教会協力牧師 西田恵一郎
フィレモンへの手紙17〜20節
だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください。彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。わたしパウロが自筆で書いています。わたしが自分で支払いましょう。あなたがあなた自身を、わたしに負うていることは、よいとしましょう。そうです。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください。


 フィレモンはパウロによってキリストに導かれた敬虔な信者で、裕福でもあったようで、彼の家は教会として開放されていました。オネシモはフィレモンの物を持ち逃げした奴隷。彼もパウロを通してキリストを信じるようになりました。法に従ってオネシモを送還しようとするパウロは、彼を愛によって迎え入れて欲しいとフィレモンに嘆願の手紙を書きます。それがこの書簡の目的でした。

 パウロが導いた二人の信者を取り持つために、「使徒」としての立場と権限を用いれば、思いのままに事を進めることはそう難しくはなかったと思われます。しかし、「囚人」「年老いた者」として自分を紹介し、へり下り、繊細に相手の立場を考慮しながらフィレモンの愛に訴えます。理由の一つは「キリストの完全さに到達するように」と訳せる六節bにあるようです。フィレモンには信仰における一層の成長が望まれていたのでしょう。私たちにおいても成長の目標はキリストであり、常にキリストに、より一層似る者となることです。先にキリストを信じた者として、私たちもパウロのように謙遜に丁寧に人々に対応しているかが問われているのではないでしょうか。人を導く時、次に問われるのは「人による対応を超えた神の介入」を思っているかです。持ち逃げした奴隷との「しばらく」(一五節)の離別に「いつまでも」(一五節)続く兄弟関係(パートナーシップ)を生み出す神の摂理(神の計画と配慮、神の目的の成就)を見ているかということです。

 人は現状のみを事実として見るが、神は可能性を事実として見るのです。パウロも一人の逃亡奴隷に可能性と神の御心を見て、執り成しをしました。「罪人の頭」である自分のために執り成したイエスを思うと、彼もそうせずにはいられなかったのです。更にその先に、使徒・主人・奴隷の関係を超えて、神との和解のためのパートナーとなれることを知っていたのです。私たちも皆、和解の働きのために召されたパートナーです。その関係は「主によって、キリストによって」(二〇節)しか確立する道は他にないのです。
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2018年07月15日

2018年7月15日の礼拝

礼拝説教「主によって、キリストによって」、フィレモンへの手紙17〜20節、西田恵一郎牧師(和泉短期大学チャプレン)。讃美歌23、2編167、352。交読詩編18編26〜35節。
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