2018年05月27日

説教 『無意味なものにならないため』

2018年5月27日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
コリントの信徒への手紙二9章章1〜5節
聖なる者たちへの奉仕について、これ以上書く必要はありません。わたしはあなたがたの熱意を知っているので、アカイア州では去年から準備ができていると言って、マケドニア州の人々にあなたがたのことを誇りました。あなたがたの熱意は多くの人々を奮い立たせたのです。わたしが兄弟たちを派遣するのは、あなたがたのことでわたしたちが抱いている誇りが、この点で無意味なものにならないためです。また、わたしが言ったとおり用意していてもらいたいためです。そうでないと、マケドニア州の人々がわたしと共に行って、まだ用意のできていないのを見たら、あなたがたはもちろん、わたしたちも、このように確信しているだけに、恥をかくことになりかねないからです。そこで、この兄弟たちに頼んで一足先にそちらに行って、以前あなたがたが約束した贈り物の用意をしてもらうことが必要だと思いました。渋りながらではなく、惜しまず差し出したものとして用意してもらうためです。

 パウロは、コリントの教会から1年前に「エルサレム教会への募金を集めてますから、待っていて下さい」との約束を聞いていました。でも1年という時間は長いもので、その間に教会で諸問題が堰を切ったように溢れ出したのです。私どもならそういう時、他人のことを思って支えたいという思いは、どうなるのかと思います。もしかしたら「他人のことを気付かっている余裕なんて無い」と言い始めたりしないでしょうか。そして他者を憶えて祈ることさえ忘れて行くことも。

 そうであるのなら、コリントの人たちに伝える言葉は当然、忠告になるはずだと思います。しかしパウロは募金を集めるのを忘れないようにと勧告する前に、2節、「あなたがたを誇りました」と言ったのです。募金が集まったかどうか、彼らが約束を守る人たちであったかどうか、その結果を見ないで、結果を見る前に、「誇った」と言っているのです。人は大抵、相手の行いの結果を見て「なんて素晴らしい人だろう。私の誇りです」と言うじゃないですか。でもパウロは、彼らが満足のいく募金をしてくれたから、その結果が素晴らしくって誇るんじゃない。その順序を全く無視しているのです。彼らのすることを見ないで、大胆に冒険するように、信頼するほうに飛び込んだのです。

 彼らの「他者を思う心」は、教会の諸問題の波に飲み込まれて失う危機の中を歩んでいた。だからパウロは居ても立ってもいられなかったのでしょう。だから彼らに「あなた方には、隣人を愛する心が在るだろ」と伝えないではいられなかった。その思いで「あなたたちを私は誇っている。誇り続けているから」とこの手紙を書き送ったのだと思えてなりません。

 今朝の御言葉が、聖書の御言葉であることにおいて、単に2千年前にパウロという特定の人が、コリントという特定の人々に告げた言葉でなくなります。これが神の御言葉であることにおいて、私どもにも、神ご自身から告げられている宣言になるのです。主なる神が、今朝わたしどもにも告げていて下さる、「あなたは私の誇りだ。だから私のその思いを、無意味なものにしないでおくれ」と。私どもに「他者を思う人として生きておくれ。行いにおいて、あなたの口から出る言葉において、そのように生きておくれ」と告げていて下さるのです。神は、私どもを信じ切る冒険をして下さる。私どもが、必ず神様の信頼に応答する姿に歩むことを、信頼していて下さるからです。新しい1週間が始まりました。たとえ荒れ狂う問題があろうとも、そこでもなお他者を思い、隣人のために祈り、家族のために神に執り成すキリスト者として、歩もうではありませんか。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 14:30| 主日説教要約

2018年5月27日の礼拝

礼拝説教「無意味なものにならないため」、コリントの信徒への手紙二 9章1〜5節、辻川篤牧師。讃美歌499、532、403。交読詩編97編1〜12節。
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