2018年04月22日

2018年4月22日の礼拝

礼拝説教「あなたを避けどころとします」、詩編7編1〜6節。辻川篤牧師。讃美歌162、333、292。交読詩編34編2〜8。
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2018年04月15日

説教 『信仰を共にするまことの子テトスへ』

2018年4月15日の礼拝
相模原教会協力牧師 西田恵一郎
テトスへの手紙 1章10〜16節
実は、不従順な者、無益な話をする者、人を惑わす者が多いのです。特に割礼を受けている人たちの中に、そういう者がいます。その者たちを沈黙させねばなりません。彼らは恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、数々の家庭を覆しています。彼らのうちの一人、預言者自身が次のように言いました。
「クレタ人はいつもうそつき、
悪い獣、怠惰な大食漢だ。」
この言葉は当たっています。だから、彼らを厳しく戒めて、信仰を健全に保たせ、ユダヤ人の作り話や、真理に背を向けている者の掟に心を奪われないようにさせなさい。清い人には、すべてが清いのです。だが、汚れている者、信じない者には、何一つ清いものはなく、その知性も良心も汚れています。こういう者たちは、神を知っていると公言しながら、行いではそれを否定しているのです。嫌悪すべき人間で、反抗的で、一切の善い業については失格者です。


 ユダヤ人パウロと異邦人テトスの間に存在した決定的な違いを克服させたのはイエス・キリストへの共通した信仰でした。利害の一致や目的意識の一致からは生まれない信頼関係が信仰により二人の間には生まれていました。神の業の証人また同労者としてパウロはテトスをエルサレムに同伴したほどですから、二人とも働きを共にし続けたかったことでしょう。しかし、自身の願いに反してテモテがエフェソに残ったように、テトスはクレタで牧会をすることになります。人の思いと神の思いは異なることがあります。これを受け入れるのが神に召された者の宿命なのかもしれません。ギリシアの諺に「Cで始まる民族は最低」というのがあるそうです。その民族の一つがクレタ人でした。
 「クレタ」は「嘘つき、偽り」の代名詞でした。クレタでの宣教は決して容易ではありませんでした。そこでの実情は「不従順な者、無益な話をする者、人を惑わす者が多」(一〇節)かったのです。特に教会の内部に(「割礼を受けている人たちの中に」)。彼らは「神を知っていると公言しながら、行いではそれを否定している」(一六節)者たちでした。パウロをして「彼らを沈黙させねばなりません」(一一節)と言わしめたほど状況は悪化していたようです。その中でパウロがテトスに求めたのは、自身が実践してきたこと、「人々の信仰を助け、彼らを信心に一致する真理の認識に導く」(一節)ことでした。
 「信仰を助け」とは「信仰を進める」という意味で、「福音こそ世界が必要としているもの」(一九二八年エルサレム国際宣教会議)と確認されたこの福音を宣言するということです。また、「信心」とは「信仰の生活化、生活の中で信仰が生かされる、生活の中に信仰を根づかせてゆく」ことで、信心の具体的な形は礼拝・祈り・奉仕です。牧会者はこれらの実践を説く、そして何より自らが実践しなければなりません。この手紙で、すべてのキリスト者には宣教の使命が託されており、この業は言葉と行いが伴いながら進むとパウロは語っているのです。
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2018年4月15日の礼拝

礼拝説教「信仰を共にするまことの子テトスへ」、テトスへの手紙1章10〜16節。西田恵一郎牧師(和泉短期大学チャプレン)。讃美歌147、187、269。交読詩編23編1〜6。

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