2018年03月31日

『日々の聖句』2018年3月

相模原教会の『日々の聖句』
み言葉のパンで生きる365日

2018年3月
右向き三角1右側には、その日一日のためにくじで選ばれた聖句が記されています。私たちに与えられた御言葉と聞きつつ、祈りへと導かれたいと願います。  
右向き三角1( )内は詩編です。ご一緒に味わっていきましょう。




●1. 木 pm7:00キリスト入門講座

酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。  (ロマ13・13-14)

(詩編味読22・20「わたしの力の神よ、今すぐにわたしを助けてください。」)


●2. 金 pm2:00信仰の書を読む会

イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。    (マコ6・50)

(詩編味読22・23「わたしの兄弟たちに御名を語り伝え、集会の中であなたを賛美します。」)


●3. 土 

わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。    (マタ16・24)

(詩編味読22・25「主は貧しい人の苦しみを、決して侮らず、さげすまれません。」)


●4. 日(第1主日)説教・辻川篤牧師
聖餐式
ヘルモン会、ぶどうの会、青年会 各定例会


●5. 月

それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。  (マタ16・15)

(詩編味読22・25「御顔を隠すことなく、助けを求める叫びを聞いてくださいます。」)


●6. 火

主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。   (ヤコ4・10)

(詩編味読22・28「地の果てまですべての人が主を認め、御もとに立ち帰り、国々の民が御前にひれ伏しますように。」)


●7. 水 pm7:00聖書の学びと祈祷会

あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい。    (1コリ10・32)

(詩編味読22・30「主にひれ伏し、塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。」)


●8. 木 pm7:00受洗準備会

わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。   (ヨハ4・14)

(詩編味読23・1「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」)


●9. 金 pm2:00信仰の書を読む会

会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。   (マコ5・22)

(詩編味読23・2-3「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。」)


●10. 土

わたしたちはどう祈るべきか知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる。   (ロマ8・26)

(詩編味読23・3「主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。」)


●11. 日(第2主日)説教・辻川篤牧師

pm:1:00午後の礼拝(説教・藤森誠神学生)
           聖餐式

●12. 月

神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。    (1コリ10・13)

(詩編23・4「死の陰の谷を行く時も、私は災いを恐れない」)


●13. 火

主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります。  (ルカ5・12)

(詩編味読23・4「あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。」)


●14. 水 pm7:00聖書の学びと祈祷会

神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。  (ヨハ6・29)

(詩編味読23・5「わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。」)


●15. 木 pm7:00受洗準備会

今は神を知っている、いや、むしろ神から知られている     (ガラ4・9)

(詩編味読23・6「命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。」)

●16. 金 相模白ゆり幼稚園卒園式

罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう。  (ルカ7・49)

(詩編味読24・1-2「地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは、主のもの。主は、大海の上に地の基を置き、潮の流れの上に世界を築かれた。」)


●17. 土

神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。   (1コリ8・3)

(詩編味読24・3「どのような人が、主の山に上り、聖所に立つことができるのか。」)


●18. 日(第3主日)説教・西田恵一郎牧師
12:30定例幹事会



●19. 月

なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。  (ロマ14・10)

(詩編味読25・4「主よ、あなたの道をわたしに示し、あなたに従う道を教えてください。」)


●20. 火

わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。  (2コリ4・7)

(詩編味読25・5「あなたのまことにわたしを導いて下さい。」)


●21. 水(祝日) pm7:00聖書の学びと祈祷会

(アブラハムは)神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していた。        (ロマ4・21)

(詩編味読25・5「あなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。」)


●22. 木 pm7:00受洗準備会

たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。   (マコ14・31)

(詩編味読25・7「わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず、…主よ、わたしを御心に留めてください。」)


●23. 金 pm2:00信仰の書を読む会

わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。  (ヨハ14・6)

(詩編味読25・8「主は…罪人に道を示してくださいます。」)


●24. 土

世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。  (1ヨハ2・17)

(詩編味読25・10「その契約と定めを守る人にとって、主の道はすべて、慈しみとまこと。」)

●25. 日(第4主日・棕櫚の主日)受難週
説教・辻川篤牧師
礼拝後すぐ・祈り会


●26. 月

イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。  (ルカ7・48)

(詩編味読25・11「主よ、あなたの御名のために、罪深いわたしをお赦しください。」)


●27. 火

神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。  (ロマ8・14)

(詩編味読25・14「主を畏れる人に、主は契約の奥義を悟らせてくださる。」)


●28. 水 pm7:00聖書の学びと祈祷会

神の聖霊を悲しませてはなりません。  (エフェ4・30)

(詩編味読27・8「心よ、主はお前に言われる、『わたしの顔を尋ね求めよ』と。主よ、わたしはあなたの御顔を尋ね求めます。」)


●29. 木(洗足の木曜日) pm7:00受洗準備会

旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはらない」と命じられた。 (マコ6・8-9)

(詩編味読27・14「主を待ち望め、雄々しくあれ」)


●30. 金(受難日) pm7:00受難日礼拝

何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。      (フィリ4・6)

(詩編味読28・2「至聖所に向かって手を上げ、あなたに救いを求めて叫びます。」)


●31. 土

なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。  (マタ8・26)

(詩編味読28・7「主はわたしの力、わたしの盾、わたしの心は主に依り頼みます。主の助けを得てわたしの心は喜び躍ります。」)


【お知らせ】 右向き三角1『日々の聖句』の解説文を4月号から再録することに致しました。どうぞご自身の〈御言葉と祈りの生活〉のためにお用い下さい。
日本基督教団 相模原教会牧師・辻川 篤

posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 09:47| 『日々の聖句』

2018年03月25日

棕櫚の主日説教 『それを嘲りとは思わない』

2018年3月25日の礼拝
相模原教会牧師 辻川篤
イザヤ書50章4〜9節
主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え
疲れた人を励ますように
言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし
弟子として聞き従うようにしてくださる。
主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは逆らわず、退かなかった。
打とうとする者には背中をまかせ
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
主なる神が助けてくださるから
わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。わたしは知っている
わたしが辱められることはない、と。
わたしの正しさを認める方は近くいます。
誰がわたしと共に争ってくれるのか
われわれは共に立とう。誰がわたしを訴えるのか
わたしに向かって来るがよい。
見よ、主なる神が助けてくださる。
誰がわたしを罪に定めえよう。
見よ、彼らはすべて衣のように朽ち
しみに食い尽くされるであろう。

 イザヤが「エルサレム帰還の時が来た」と人々に告げます。しかしそこで大反発が起こったのです。「我々はここでの生活に十分満足している。神の御計画だと言われても、もう結構だ」と。その迫害は熾烈なものでした。鞭や棒で打たれ、そして「嘲りと唾を受けた」と言っています。イザヤは侮辱の限りを尽くされて、身も心も激しい苦しみを受けたのです。

 皆さん、それは神の言葉を伝えたからです。むしろ神の御旨に従ったからだと、伝えられているんです。「それにしても何故イザヤは、それでも語り続けたのだろうか」と思います。御心に従い続けても、そこで苦しみが増すだけなのに、どうして放り出さなかったのか、です。

 「なぜ」と問う私どもに、聖書は「主なる神が助けてくださるから、わたしはそれを嘲りとは思わない」とイザヤの言葉を伝えます。この「助けてくださる」というのは、「手伝う」とか「手を添える」というように、弱ったり疲れ切った時にパートナーが一緒にいて、腕を抱えてくれたり背中に手を当てたりする、そういう「助け」です。それはまさに、助ける者が傍にいるということ無しには、起こりません。それはつまり、いま苦しんでいる場所が、私のパートナーとして神が共にいて下さる場所だ、ということではありませんか。つまり、神も共に苦しみを背負っておられる、神が私の十字架を一緒に背負っていて下さるということなのです。苦しみの中に、神が居られる。そこに私がいるからです。そして、だからこそそこで告白できることがある、「わたしはそれを(今の苦しみを)嘲りとは思わない」と。この苦しみの場にあって、なおここに神の御計画があると信じて立つ、ということであります。

 この箇所を読む時に、私どもはイエス様の十字架への道行きを思い起こさないではいられません。イエス様は、父なる神に従う歩みの中で起こる苦しみの中で、神の計画を真実に実現しておられたのです。この苦難を「嘲りとは思わない」、その道を進まれたのです。

 神の御心のままに歩みたいと生きて行くこの世の生活で苦しみに遭う日に、私どもは気付くことがある。私のために身代わりで死んでさえ下さった方が、いま私の具体的な苦しみにも「あなたと共にいるから」と付き添って下さるのだ、ということです。そして、そのイエス様と一緒なら私どもにも言えることがある、「御心に従って歩む人生、たとえ何があっても、それを嘲りとは思わない。なぜならそこが苦難の道であっても、私の思いや考えを遥かに超えた、神の計画が、きっとそこで実現する場所なのだから」と。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 17:14| 主日説教要約

2018年3月25日の礼拝

この日は棕櫚の主日です。主イエスが十字架へと向かう最後の1週間・受難週が始まります。
礼拝説教「それを嘲りとは思わない」、イザヤ書50章4〜9節。辻川篤牧師。讃美歌15、507、138。交読詩編24編1〜10節。
posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 00:00| お知らせ