2017年12月31日

『日々の聖句』2017年12月

相模原教会の『日々の聖句』
み言葉のパンで生きる365日

2017年12月
右向き三角1右側には、その日一日のためにくじで選ばれた聖句が記されています。『ローズンゲンの日々の聖句』のように、人間の思いを超える神意として、私たちに与えられた御言葉と聞きつつ、祈りへと導かれたいと願います。
右向き三角1( )内は詩編です。ご一緒に150編を辿っていきましょう。

●1. 金 pm2:00信仰の書を読む会

主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。(哀3・22-23)

(詩編味読17・13「主よ、…あなたの剣をもって逆らう者を撃ち、わたしの魂を助け出してください。」)


●2. 土

生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるように。           (フィリ1・20)

(詩編味読17・14「御もとに隠れる人には、豊かに食べ物をお与えください。」)


●3. 日(アドヴェント第1主日)説教・辻川篤牧師
聖餐式
礼拝後・ヘルモン会、ぶどうの会定例会
(「神学生と共に学ぶQ&A」が始まります。)
●4. 月

主を信じる者は、だれも失望することがない。 (ロマ10・11)

(詩編味読17・14「子らも食べて飽き、子孫にも豊かに残すように。」)


●5. 火pm7:00 大島兄姉宅リディア会(クリスマス祝会)

まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。 (エゼ34・11)

(詩編味読18・2「主よ、私の力よ、私はあなたを慕う。」)


●6. 水 pm7:00聖書の学びと祈祷会(担当・藤森誠神学生)

神にできないことは何一つない。       (ルカ1・37)

(詩編味読18・3「主はわたしの岩、砦、逃れ場、わたしの神、大岩、避けどころ、わたしの盾、救いの角、砦の塔。」)


●7. 木 pm7:00受洗準備会

洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ている。   (ガラ3・27)

(詩編味読18・4「ほむべき方、主をわたしは呼び求め、敵から救われる。」)


●8. 金 pm2:00信仰の書を読む会

隣人の家を欲してはならない。       (出20・17)

(詩編味読18・5‐6「死の縄がからみつき、奈落の激流がわたしをおののかせ、陰府の縄がめぐり、死の網がしかけられている。」)


●9. 土

すべての兄弟たちに、聖なる口づけによって挨拶しなさい。    (1テサ5・26)

(詩編味読18・7「苦難の中から主を呼び求め、わたしの神に向かって叫ぶと、その声は神殿に響く」)


●10. 日(第2主日) 説教・辻川篤牧師

12:30定例幹事会


●11. 月

イエス・キリストのことを思い起こしなさい。  (2テモ2・8)

(詩編味読18・「(わたしの)叫びは御前に至り、御耳に届く。」)


●12. 火

あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。  (ヤコ5・13)

(詩編味読18・10「主は天を傾けて降り、密雲を足もとに従える」)


●13. 水 pm7:00聖書の学びと祈祷会

わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。  (創22・8)

(詩編味読18・14「主は天から雷鳴をとどろかせ、いと高き神は御声をあげられ、雹と火の雨が続く。」)


●14. 木 pm7:00受洗準備会

ダビデは主に尋ねた。   (サム上23・10)

(詩編味読18・17「主は高い天から御手を遣わしてわたしをとらえ、大水の中から引き上げてくださる。」)


●15. 金 pm2:00信仰の書を読む会

あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。    (コロ1・23)

(詩編味読18・18「敵には力があり、わたしを憎む者は勝ち誇っているが、なお、主はわたしを救い出される。」)


●16. 土

あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。     (マコ12・24)

(詩編味読18・19「彼らが攻め寄せる災いの日、主はわたしの支えとなる」)

●17. 日(第3主日) 説教・西田恵一郎牧師

pm2:00 CSクリスマス礼拝、祝会


●18. 月

主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。むしろお前たちの悪が、神とお前たちとの間を隔てる。  (イザ59・1-2)

(詩編味読18・16「あなたの怒りの息に世界はその基を示す」)


●19. 火
白ゆり幼稚園 クリスマス礼拝、祝会(市民会館)

神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。     (ルカ8・39)

(詩編味読18・20「(主は)わたしを広い所に導き出し、助けとなり、喜び迎えてくださる。」)


●20. 水 pm7:00信徒による祈祷会

御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどです。     (1ヨハ3・1)

(詩編味読18・21「主はわたしの正しさに報いてくださる。」)


●21. 木 pm7:00受洗準備会

わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。     (エフェ4・7)

(詩編味読18・21「(主は)わたしの手の清さに応じて返してくださる。」)


●22. 金(信仰の書を読む会は冬休み)

わたしの選ぶ者の杖は芽を吹くであろう。(民17・20)

(詩編味読18・22‐23「わたしは主の道を守り、わたしの神に背かない。わたしは主の裁きをすべて前に置き、主の掟を遠ざけない。」)


●23. 土(祝日)
pm1:00青年会クリスマス礼拝、祝会

主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」   (創3・13)

(詩編味読18・15「主の矢は飛び交い、稲妻は散乱する。」)


●24. 日(降誕日・クリスマス) 説教・辻川篤牧師
洗礼式、聖餐式
礼拝後・クリスマス祝会

pm7:00 イヴ燭火礼拝、キャロリング

●25. 月(降誕日)

わたしは主、あなたの神…わたしの目にあなたは価高く、貴い。   (イザ43・4)

(詩編味読18・26「あなたの慈しみに生きる人に、あなたは慈しみを示す」)


●26. 火

火の後に、静かにささやく声が聞こえた。 (王上19・12)

(詩編味読18・28「あなたは貧しい民を救い上げ、高ぶる目を引き下ろされる。」)


●27. 水(定例祈祷会は、12月31日の除夜祈祷会に振り替え)

彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。   (民9・23)

(詩編味読18・29「主よ、あなたはわたしの灯を輝かし、神よ、あなたはわたしの闇を照らしてくださる。」)


●28. 木

わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。     (出19・5)

(詩編味読18・30「あなたによって、わたしは敵軍を追い散らし、わたしの神によって、城壁を越える。」)


●29. 金

(サタンは言った)「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。」  (ヨブ1・9)

(詩編味読18・31「すべて御もとに身を寄せる人に、主は盾となってくださる。」)


●30. 土

牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。 (哀34・12)

(詩編味読18・32「主のほかに神はない。神のほかに我らの岩はない。」)


●31. 日(第5主日) 説教・伊藤忠彦牧師
礼拝後・祈り会


pm11:30 除夜祈祷会
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2017年12月31日の礼拝

礼拝説教「昔のことを思いめぐらすな」、イザヤ書43章18〜19節。伊藤忠彦牧師(相模原教会協力牧師)。讃美歌3、409、534。交読詩編72編1〜7節。

【ご案内】2017年最後の礼拝です。
初めての方も、どうぞおいでください。特に持ち物は必要ありません。聖書・讃美歌も教会で用意していますのでご利用ください。その他わからないことがあれば、何でも教会の受付の人に質問してください。

・午前10時30分から礼拝堂で行われます。
・礼拝では聖書が読まれ、その箇所で説教がなされます。
・またパイプオルガンの奏楽によって一緒に讃美歌を歌い、感謝と願いを込めて祈りがささげられます。

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2017年12月24日

クリスマス礼拝説教 『言は肉となって、宿られた』

2017年12月24日(クリスマス)礼拝
相模原教会牧師 辻川篤

ヨハネによる福音書1章14〜18節
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。


 ヨハネ福音書の降誕の御言葉は、天使もマリアも登場しません。この最も短い降誕の御言葉は「告白」だった。そう気付かされたら、単に「神の御子は人間となった」と言えば済むことなのに、敢えて「言は肉となった」と告げた単語の選び方に、そもそも伝えたい思いが込められているのかも知れないと思えたのです。

 ギュツラフ訳聖書は、今でも多くの神学者たちから、高い評価を得ている日本語訳です。漁師たちが生活で使っていた庶民の心にある日本語だからです。そのヨハネ福音書1章1節は、あまりにも有名な訳です。新共同訳では「初めに言があった」とある箇所を、こう訳したのです「ハジマリニ カシコイモノ ゴザル」と。「ワシらにとっては近寄りがたい、勿体ない賢さそのものという方が、世界の全てに先立っておられたのだ」という事です。その「言」というのが、今朝の14節にある「言」と同じ単語なのです。だからギュツラフたちは、「言は肉となった」を「カシコイモノワ ニンゲンニ ナラアタ」と、「天のおられるべき やんごとなき賢きお方が、人間になられた」と、それが神の御子の降誕の意味であったのだと聞き取ったのです。

 これは単に、「人間に変えられた」という風に聞いてはいけません。聖書で「肉」という言葉が使われる時、それは「欲」という言葉と引っ付く。つまり欲と同類だということです。過ちを犯して、息苦しい自分に転がり落ちて行くのに、それでも止められない、なお落ち込んで行く闇の姿が「肉」なのです。それは、その故に「罪」と逃れ難く引っ付いている言葉なのです。改めて、エッと驚かずにはいられません。神であられる方が、「欲と罪」の入れ物でしかない「肉」に、ご自身もなられたということだからです。イエス様は、欲と罪と、過ちと弱さと、涙と後悔と、そんなものが混ざっている坩堝の中にはまり込むために、天から落ちて来られたと言うのです。その坩堝の中で、ご自分も泥まみれになられるのだと、分かっていてもです。

 本当にイエス様は、あらゆる理不尽を受けて、暴力を受けて、屈辱まみれにされて、誰からも理解されず、罪人の頭のように十字架に掛けられて殺されてしまわれるのではないですか。泥まみれになられたのではないですか。それなのにイエス様は、その「肉」の中心目掛けて降って来られたのです。罪の巣窟の中に入り込んで来られたのです。それが、「言は肉となった」という御言葉の意味であったのです。神が、神であられる身を捨てて、肉の在り様しかできない私どもと一つとなるために、天より降って下さった。その「肉」の只中で、あなたの救い主となられるためだったのです。
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