2017年10月08日

説教 『散らされた人々が、語りかけた』

2017年10月8日の礼拝

相模原教会牧師 辻川篤

使徒言行録111926

ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。


エルサレムで迫害に苦しんだ人々が、居場所を求めて北へと逃げます。19節に「フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行った」とある通りにですしかしその新生活は、何もかも整った引っ越しなんかじゃありませんでした。それなのにです、「生活を守って下さい、見つからないように」と言うどころか、20節「ギリシア語を話す人にも語りかけた」というのです。そんなことしたら「あんた、あのステファノの事件を知らないのですか、熱狂主義者に捕まるぞ」と忠告されてもおかしくはない事じゃないですか。それなのに彼らは、全ての人に語りかけたというのです。


ある日、ある信仰者が、ユダヤ人以外に話をしてみたのです、「あなたも、本当の幸いの話を聞かないか」と。その時でした、人々がキリスト者の語り掛けを聞いてくれるという出来事が起こったのです。考えたら、何よりも彼らは難民としてやって来ていたから、着の身着のままで逃れて来た漂流者と見られていたはずです。お金も、名誉も、評判も、一つもない。無名の難民として流れ着いた。その故に彼らは、アンティオキアの全ての人の底辺に立つ者となっていたということではないでしょうか。そのどん底からなのです、彼らは「イエス様はこんな私のために命を捨てられたのです」と生き生きと語り出したのです。


アッと思いました。彼らの立っていた場所は、イエス様が立たれた場所と同じだったんだと気付かされたからです。誰からも認められず、誰からも必要とされなかったのはイエス様です。天から降って来られた神の御子なのに、人はそのイエス様を、天からの難民扱いにしたのです。嘲られ、唾を吐きかけられ、鞭打たれ、とうとう十字架に掛けられたのではないですか。神なるイエス様こそが、どん底に立って下さったのです。それは、そこから私どもに福音を届けるためにです。


その主が、無名のキリスト者たちと共におられたのです。そして彼らを用いて、御業が起こされて行ったのです。彼らはそれを目の当たりにして、気付かされたでしょう、「自分たちは価値無き者のように扱われて来た。そんな自分たちなのに、このアンティオキアで、そんな自分たちを通して神の力が働いている」と。そして「私たちはここに呼び出されたんだ。ここで用いられる者となるために。それが初めからの神のご計画だったのかも知れない」と。喜びに震えただろうと思うんです。


神の計画は常に、人間の思いや計画を超えて先行するのです。その道を、その時は気付きもせずにトボトボとでも行く時、「私の歩みは、神の臨在される中にあった。私が用いられる場所へ、私は運ばれて来たんだ」と気付かせてもいただけるのです。

posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 15:46| 主日説教要約

2017年10月8日の礼拝

この日は、神学校日を覚える礼拝です。説教「散らされた人々が、語りかけた」、使徒言行録111926節。辻川篤牧師。讃美歌20354339。交読詩編901317節。

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