2017年09月30日

『日々の聖句』2017年9月

相模原教会の『日々の聖句』
み言葉のパンで生きる365日

2017年9月

右向き三角1右側には、その日一日のためにくじで選ばれた聖句が記されています。『ローズンゲンの日々の聖句』のように、人間の思いを超える神意として、私たちに与えられた御言葉と聞きつつ、祈りへと導かれたいと願います。
右向き三角1( )内は詩編です。ご一緒に150編を辿っていきましょう。


●1. 金

神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ」  (創1・28)

(詩編味読7・11「心のまっすぐな人を救う方、神はわたしの盾。」)


●2. 土

山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らない。        (イザ54・10)

(詩編味読7・12-13「正しく裁く神、日ごとに憤りを現わす神。立ち帰らない者に向かっては、剣を鋭くする」)



●3. 日(第1主日) 説教・辻川篤牧師
聖餐式
ヘルモン会、ぶどうの会定例会


●4. 月

あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神。(ルツ1・16)

(詩編味読7・15「ご覧ください。彼らは悪をみごもり、災いをはらみ、偽りを生む者です。」)


●5. 火

律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになった。      (マコ1・22)

(詩編味読7・16「落とし穴を掘り、深くしています、仕掛けたその穴に自分が落ちますように。」)


●6. 水 pm7:00信徒による祈祷会

どうか、過ぎた年月を返してくれ、神に守られていたあの日々を。    (ヨブ29・2)

(詩編味読7・18「正しくいます主にわたしは感謝をささげ、いと高き神、主の御名をほめ歌います。」)


●7. 木

あなたがたも祈りで援助してください。  (2コリ1・11)

(詩編味読8・2「主よ、わたしたちの主よ、あなたの御名は、いかに力強く、全地に満ちていることでしょう。天に輝くあなたの威光をたたえます。」)


●8. 金

息絶えようとするとき、わたしは主の御名を唱えた。 (ヨナ2・8)

(詩編味読8・3「あなたは刃向かう者に向かって砦を築き、報復する敵を絶ち滅ぼされます。」)


●9. 土

人々はイエスをあざ笑った。   (マコ5・40)


(詩編味読8・4「あなたの天を、あなたの指の業を、わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。」)

●10. 日(第2主日・敬老の日を覚えての礼拝)
説教・辻川篤牧師
礼拝後・敬老愛餐会(2階ホール)


●11. 月

御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。       (2テモ4・2)

(詩編味読8・5「あなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。」)


●12. 火

主はモーセの願いどおりにされた。      (出8・9)

(詩編味読8・5「人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは。」)


●13. 水 pm7:00信徒による祈祷会

(ソロモンは主に答えた)「善と悪を判断することが出来るように、この僕に聞き分ける心をお与えください。」    (王上3・9)

(詩編味読8・6「神にわずかに劣るものとして人を造られた」)


●14. 木 pm7:00キリスト入門講座 再開

あなたは、自ら降り、わたしを強い者としてくださる。(詩18・36)

(詩編味読8・7「御手によって造られたものをすべて治めるように、人の足もとに置かれました。」)


●15. 金 pm2:00信仰の書を読む会 再開

何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。    (1コリ10・31)

(詩編味読9・2「わたしは心を尽くして主に感謝をささげ、驚くべき御業をすべて語り伝えよう。」)


●16. 土

わたしはこの福音を人から受けたのでもなく教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。     (ガラ1・12)

(詩編味読9・3「いと高き神よ、わたしは喜び、誇り、御名をほめ歌おう。」)


●17. 日(第3主日) 説教・西田恵一郎牧師

礼拝後すぐ・修養と親睦の集い
         講師・秋葉恭子牧師

●18. 月(敬老の日) 修養と親睦の集い 2日目

イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。   (1コリ1・2)

(詩編味読9・4「御顔を向けられて敵は退き、倒れて、滅び去った。」)


●19. 火

「まず自分の目から丸太を取り除け。」   (ルカ6・42)

(詩編味読9・5-6「あなたは御座に就き、正しく裁き、わたしの訴えを取り上げて裁いてくださる。異邦の民を叱咤し、逆らう者を滅ぼし、その名を代々限りなく消し去られる。」)


●20. 水 pm7:00信徒による祈祷会

願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めているからです。   (ヤコ4・3)

(詩編味読9・8「主は裁きのために御座を固く据えられる」)


●21. 木 pm7:00キリスト入門講座

主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。   (出14・21)

(詩編味読9・9「御自ら世界を正しく治められる」)


●22. 金 pm2:00信仰の書を読む会

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。 (使1・08)

(詩編味読9・10「虐げられている人に、主が砦の塔となってくださるように。」)


●23. 土(秋分の日)

そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。(1コリ9・16)

(詩編味読9・11「主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない。」)


●24. 日(第4主日) 説教・辻川篤牧師
礼拝後すぐ・祈り会



●25. 月

あなたたちは、エジプトの国を出た日からここに来るまで主に背き続けてきた。  (申9・7)

(詩編味読9・12「シオンにいます主をほめ歌い、諸国の民に御業を告げ知らせよ。」)


●26. 火

たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。  (ハバ2・3)

(詩編味読9・13「主は流された血に心を留めて、それに報いてくださる。貧しい人の叫びをお忘れになることはない。」)

●27. 水 pm7:00聖書の学びと祈祷会

「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。」   (マコ1・38)

(詩編味読9・14「憐れんでください、主よ、死の門からわたしを引き上げてくださる方よ。」)


●28. 木 pm7:00キリスト入門講座

動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。    (1コリ15・58)

(詩編味読9・14「ご覧ください、わたしを憎む者がわたしを苦しめているのを。」)


●29. 金 pm2:00信仰の書を読む会

あなたの御言葉が見いだされたとき、わたしはそれをむさぼり食べました。  (エレ15・16)

(詩編味読9・13「おとめシオンの城門で、あなたの賛美をひとつひとつ物語り、御救いに喜び躍ることができますように」)


●30. 土

「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」 (ルカ6・31)

(詩編味読9・16「異邦の民は自ら掘った穴に落ち、隠して張った罠に足を取られる。」)



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2017年09月25日

説教 『喜びと貧しさがあふれ出て』

2017年9月24日の礼拝

相模原教会牧師 辻川篤

コリントの信徒への手紙二 8章1〜7節

兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げたので、わたしたちはテトスに、この慈善の業をあなたがたの間で始めたからには、やり遂げるようにと勧めました。あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。


ここには、並べて書かれるはずのない言葉が並んでいます。「激しい試練を受けている」と「満ち満ちた喜び」と「極度の貧しさ」と「惜しまず施した」です。この人々は、厳しい迫害で極貧の生活となっていたようです。しかしその貧しさの中で、彼らは喜びにあふれ出し、施す側に加わったのです。それも3節には「力以上に自ら進んで」とありました。彼らは、出しても良いというラインを超えて、自分が痛いと思うところまで、隣人に与えてしまったのです。パウロがその姿を見て驚いてしまうほどのことがに起こっていたのです。


何故なんだろうと、何日も思い巡らしていました。すると、先ほどの「聖なる者たちを助けるための慈善の業」とある「助ける」という言葉が、「給仕する」とか「もてなす」という意味だということに目が留まったのです。彼らは身を切って献げているのに、上に立つのではなく給仕する側に立ったのです。つまり僕になって、下に立ったのです。そう知った時に、彼らの姿はまぎれもなく十字架の主のお姿と一緒だと気付かされたのです。イエス様が捨てられたのは、いのちだけではありません。あらゆる尊厳も剥ぎ取られました。貧しさの極みがそこにあった。そうやって人に仕える僕となられたのです。「人々は、十字架のイエス様と、同じ所に立とうとしたんじゃないだろうか。そうだ、彼らはキリストに倣いたかったんだ」と気付いたのです。


そう気付かされた時に、改めて今朝の聖書の始まりに「マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう」と語り出されていたことが、貧しさの中にいる人々が尽くす側に立ったことに、繋がるように思えたのです。貧しい人々が喜びにあふれて相手に尽くせた姿が「神の恵みそのものだったのかも知れない」と思ったからです。私どもは大抵、「神様からの恵みがありますように」と言う時、その人に神様が何かを益々加えて与えて下さることを考えます。だから、自分の持っているものが減ってしまうと、それは恵みなんかじゃないと考えやすい。でも聖書は告げるのです。マケドニアの信仰者たちは、何かを戴くことが恵みじゃなくて、それを遥かに上回って、何もかも与えることが出来ることが恵みなんだと生きたのだと。それは、キリストのように生きる姿となることで、それが最も高価な恵みなんだということなのです。


彼らは、キリストに似る姿の中で、輝いていられたのです。信仰は、激しい試練の中にあっても、貧しさに溢れてもなお喜びに満ち満ちて生きて、与えられるよりも与える側に立って生きることが出来るんです。キリストのように生きる者へと変えていただけるのです。それが、神の恵みであるのです。

posted by 相模原教会ウェブページ管理委員会 at 18:55| 主日説教要約

2017年09月24日

2017年9月24日の礼拝

礼拝説教「喜びと貧しさがあふれ出て」、コリントの信徒への手紙二 8章1〜7節。辻川篤牧師。讃美歌12、355、529。交読詩編15編1〜5節。
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